天体観測日記

 手滑り落ちた日記帳を慌てて受け止めようと手を伸ばす。掌に一度当たったその日記帳は音を立てて床へ落ちた。予想外に鳴ってしまった大きな音に自分自身が驚く。隣の部屋で眠る天道は起きてはいないだろうか。日記帳の狭間から滑り落ちた複数枚のメモが床へ散らばる。散らかった部屋で僕は一人、静かに立ち尽くしていた。
 天道と同棲を初めて1年が過ぎた。ソロの活動も多いことから、寝室は別で用意している。実際に僕たちの読み通り、就寝時間が異なる日は数え切れないほどあった。天道が先に眠っている日も、僕が眠るより後に帰ってくる日も、特別珍しいことではない。
 一緒に暮らし始めて初めて気がついた事だが、天道は筆まめだ。彼が僕より早く寝る際、もしくは天道が僕より遅く起きる際、彼はよくメモを残していく。そのメモの殆どが夕食、もしくは朝食と共に添えられており、特筆すべき内容が添えられている訳では無い。
 そんな意味も無いメモを日記に挟むようになって半年が過ぎた。僕が不注意で落としたせいで、集めたメモたちは床へと散らばっている。
 僕は小さなため息を一つつき、メモを一枚一枚拾うことにした。
【お疲れ様! 麺つゆかけてそのまま食べろよ!きしめんは名古屋市民の心を抱きしめん!! なんてな!!】
 最初のメモは簡単だった。僕と天道が同棲を始めてから名古屋で行ったライブは一度しか無い。5月7日。この日に僕が書いたページを開いてみる。
『今日はグリーティングツアー名古屋だった。ソロ曲は何度歌っても緊張する。終盤で2人を感じた瞬間の安心感は、きっと一生忘れない。3人揃ってDRAMATIC STARSと最初に言ったのは誰だったか。もしかしたら、一番実感しているのは僕かもしれない。』
 日記帳にメモを一枚挟み込み、僕は新しいメモを拾い上げた。
【お疲れ様! 明日は6時からニュースの生撮影があるから先に寝るからな !  桜庭が淋しいなら俺の部屋においで】
 手元のメモを暫く見つめる。内容から察するに、恐らくムーンナイトのせいにしての発表付近だと思われる。僕は日記帳を捲りながら、目当ての日付付近を読み直した。
『今日はDRAMATIC STARSのワンマンライブに向けた最後の練習だった。新曲であるムーンナイトのせいにしても今日が初披露となる。dramatic STARsどころか、315プロダクションとしても初のラブソングになる。ファンに受け入れて貰えるだろうか。ダンスも既存の曲より激しい。不安は決して少なくは無いが、きちんと仕上げたつもりだ。ファンの満足を通り越して、期待以上のステージを披露して見せよう。』
 日記帳にメモを一枚挟み込み、僕はまた新しいメモを拾い上げる。
【ただいま。朝早いんだろ? 早く会いたいけど、夜までお預けだからこっそり寝顔だけ眺めさせてもらうな。夕食は買ってきた美味しい食材をふんだんに使って作るから、まっすぐ帰ってきてくれよな! 追伸 蒼い恋人は無かったから、お土産はこれで勘弁してくれ。】
 蒼い恋人という謎の単語に、誰が見ているわけでもないのに思わず一人首を傾げる。少し悩んだが、前半の内容のおかげで思い出し、ページをめくる。
『やっと天道が帰ってきた。ツアー初日の北海道は大成功に終わったようだ。少し前までは当たり前だったはずなのに、自分以外の気配が無い家は随分と物寂しかった。勿論本人には伝えなかった。次々出てくる海鮮料理に、何をしに行ってきたのか問い詰めたかったが、美味しかったのでよしとする。でも土産が白い恋人なのは芸が無さ過ぎでは無いだろうか。』
 日記帳にメモを一枚挟み込み、僕は新しいメモを拾い上げてはページを捲る。繰り返していく内に床から少しずつメモが消えていく。日記を落としてから十数分、僕はやっと最後の一枚を拾い上げた。
【冷蔵庫に冷しゃぶがあるから食べてくれよな! 夕方からの練習楽しみにしてろよ? 今回のダンスはかなり自信あるからさ。終わったら3人でファミレス行こうぜ。先月から始まった期間限定のマンゴープリン食べたいからさ】
 今日このメモを読むのは2回目だ。1回目は先ほどリビングで読んだ。パズルのようなメモ整理がひと段落ついたところで、新しいページを開きながら机に向かう。ペンを手に取ったところでふと思い立ち、引き出しから手のひらサイズのメモ用紙を抜き取った。
【ごちそうさま。さっぱりしていて悪くなかったが、リビングの机にごまだれが出てたが僕はポン酢派だ。あとデザートは食べ過ぎるなよ。柏木だけじゃなく君の体重管理までするつもりは無いからな。】
 書きあがった文面は必要性も可愛げも無かった。暫く眺めて考えたが、捨てるのも癪なのでリビングの机へそっと置いてきた。天道を起こさないように静かに部屋へ戻り、いつものように手短に日記をつける。
 書きあがったページへ天道のメモを挟んで閉じる。挟んだ数だけほんの少し膨れ上がった日記帳を本棚へ戻し、さっさとベッドへ潜り込むことにした。
 寝不足を理由に情けないダンスなど見せられないし、僕だってまだマンゴープリンは食べていない。こんな夜は、さっさと眠ってしまうに限る。冷たいほど静かな夜も、朝が来ればいつも通り、賑やかな日常へと姿を変えるのだから。