新しい日常(煙草シリーズ3)

 桜庭と屋上で殴り合ったのも、もう随分と前になる。肩身の狭い喫煙者のオアシスである屋上で、彼に出会うことはあっても、一緒に訪れることは滅多にない。理由は簡単だ。桜庭が一緒に来たがらないからだ。今日も一人で階段を上がる。レッスンが始まるまでまだ時間があった。突き当たりのドアを開ければ開放的な屋上の隅の柵の前で、小さく煙草を吸う桜庭が居た。
「桜庭ちゃんみっけ」
 天道の声に反応して振り返った顔は、いつも通り険しかった。嫌そうな顔を完全に無視して、煙草を咥えながら隣まで移動する。隣に並んで火をつけると煙と一緒に匂いも広がる。赤いパッケージのこの煙草はずいぶん匂いがきつい。隣の桜庭の手には淡いピンク色の、細身で可愛らしい箱が握られている。女性向けの軽い煙草だ。結成から一年、求められるパフォーマンスのレベルも月日と共に高くなってきた。新曲のダンスが今までと比べ物にならないほどに動く。初期と比べれば随分と桜庭の体力もついているが、元から体を動かすことが得意では無い人間にとっては相当辛いのだろう。一週間前、一度通しただけで息が切れる様子を見たプロデューサーから、ついに減煙指示という名の禁煙命令が出たのだ。それ以来桜庭は匂いの少なさをウリにしているこの煙草を隠れるように吸っている。ピンクのラインが入った細いその煙草を一口吸って、ばつが悪そうに文句をつけてくる。
「僕の隣で吸うな。匂いがうつるだろう。プロデューサーにばれる」
「お前が吸うのやめればいいだけの話だろ」
「最終的にはきちんとやめる。少しずつ減煙してるだけだ」
「あっそう」
 そう呟きながらにやにやと顔とパッケージを交互に見ると、どうやらその視線に気が付いたらしく、また睨み返してくる。前に吸ってた銘柄とはまた違うアンバランスさ、そして天道の視線に気づいて反応を示すこと。以前見惚れたその姿とは全くの正反対だ。結局あのとき見た桜庭の姿は消えなかった。それでも記憶の奥底に隠れてしまっていて、思い出したのはDRAMATIC STARS結成後にこの屋上で煙草を吸う姿を見た時だった。
 文句を言っても無駄だと思ったのだろうか、桜庭は機嫌の悪そうな顔のままそっぽを向いてしまった。それをいいことに、煙草を吸いながら横顔を眺め続ける。最初に見た桜庭が嫌いなわけではない。むしろ白衣姿で美味しそうに煙草を吸う姿は美しかった。それでも、手の届かなそうな危うさがなんだか怖かったのだ。そのせいか、自分の手の届く距離で女物の可愛らしい煙草を吸う姿がとても愛おしく思える。たとえ今、桜庭に触れたとしても、文句は言われど振り解かれはしないのだろう。ぶつかって、理解して、擦り合わせて。そんな距離まで、二人の間は縮まっていた。
 がちゃり、と背後で扉の開く音が聞こえる。振り返れば、嬉しそうな顔をした翼が屋上を覗いていた。
「やっぱりここに居たんですね」
 軽い足取りでこちらに向かってくる翼に、天道と同じように後ろを向いた桜庭が話しかける。
「君もわざわざ来たのか。暑いだろうに」
「レッスン室に二人分の荷物が置いてありましたから。俺一人で待ってても寂しいですし」
 そう言って天道の隣に立ち、煙草サイズの箱から一本取り出そうとしたところで、あっと声を上げる。
「ちょっと溶けてる……」
 翼は珍しく拗ねたような表情をして、紙を少し剥いて食べ出した。年に似合わず子供のような顔でシガレットチョコを咥える様子が面白くて、天道は笑いながら声をかける。
「そろそろラムネに切り替えたほうがいいんじゃねーか?」
「また箱買いしないとですね」
「そもそもまだ売っているのか?最近見た記憶が無いのだが」
「チョコはネットで買えたんで、ラムネも多分売ってると思います」
 チョコを食べながらスマホを取り出し、片手で器用に文字を打つ姿を横目に、柵の先の景色を見渡す。桜庭が禁煙するなら、こうして三人で肩を並べてぼうっとする時間も無くなるのだろうか。そう考えると天道は酷く寂しい気持ちになった。
「桜庭もラムネにしろよ」
「君もラムネにするなら一緒に食べてやらないこともない」
 喫煙者のオアシスで、大の大人が三人で煙草型のラムネをポリポリと食べる姿を頭の中で描いてみる。
「……遠慮しとく」
 流石にちょっとかっこ悪いなと思いながら、煙草を吸い終わるまで、これからも三人でこうしていられるための案を考えてみることにしたのだった。