見えない人まで救ってしまうのがヒーローの条件

 昔、桜庭に「好きだ」と言った男性が居た。当時の桜庭はその事実にただ驚くばかりだったが、今となってはその勇気を称えるばかりである。

 体調を崩される方がよっぽどの損害です。電気代など気にしないので、冷房も暖房もきちんとつけてください。とは、この315プロダクションに務めるプロデューサーの言葉である。社長も同意しているようで、この事務所はいつだって心地よい温度に保たれている。それは今日も例外ではない。そんな部屋のソファで天道輝は楽しげにパンフレットを眺めいていた。その向かいで桜庭は企画書を持ったまま暗い顔をしている。
 おそらく天道は知らないのだろう、と桜庭は思った。たとえ悲しんでいる人が居たところで、その存在を知らなくては知らなくては助けるために動くことは出来ない。悲しんでいる人を放っておくような人間ではないことを、桜庭はよく知っていた。自分を助けてほしいなどとは口が裂けても言えない。だからせめて彼らだけでも助けたいと桜庭は願っていたが、手段も方法も今日まで思いつかなかった。
 柏木翼は今、自分のことで手一杯である。ただでさえ忙しいプロデューサーに相談することも避けたい。彼はアイドルの願いを全力で叶えようと努力してしまう。だから今、桜庭が相談できるのは天道以外に居なかった。たとえそれが認識していない可愛そうな彼らの存在を突きつけるどころか、可愛そうな桜庭自身の存在に気づかれてしまう可能性に一ミリにでも近づかれることになるとしても、桜庭は他の選択肢を見つけることが出来なかった。
「君は男性から告白されたことはあるか?」
 唐突に話しかけられた天道はきょとんとした。
「いや、無いけど」
 その返事に桜庭はやはりな、と思った。
「僕はある」
「あっそう。……え? 何の話?」
 天道は明らかに戸惑っていた。無理もないだろう。彼は桜庭が仕事の話をしているなど微塵も気づいていなかった。
「僕は彼が今どこで何をしているかすら知らない」
「うん」
「でももし彼が、仮にだぞ? 仮に未だ僕のことを思ってくれているとしても」
 桜庭はここで一度言葉に詰まった。天道はまだ桜庭が話したい内容を理解していない。ここで「やはり何でも無い。忘れてくれ」といえば自分の葛藤だけで済むことを桜庭は分かっている。それでも桜庭は天道に話したかった。一生言えないであろう自分の苦しみも、彼の、彼らの苦しみに混ぜ込んでしまう。そうすれば混ぜ込んだ少しの分だけでも天道に受け止めてもらえる気がしたからだ。たとえそうじゃなくても、せめて彼らだけでも救われて欲しい。天道なら救ってくれるのではないかと期待しているのだ。
「いや、彼だけじゃない。多分僕が知らないだけだ。彼らは、この企画に応募することすら出来なかった」
 そこまで聞いてやっと天道は話の意味を理解することが出来た。
 ジュピターとドラマチックスターズにきたナイトウエディングのCMの仕事。花嫁役の応募資格は「プロアマ問わず満十六才以上の女性」だった。
「つまりあれだろ? まるで誰にでも結婚相手役が出来るチャンスのある夢のような企画に見えるけど」
「その夢すら見られない人もいる」
 そう言って桜庭はため息を付いた。
 桜庭は彼らになにかしてやりたいのだろうと天道は思った。勘違いされやすいが、根は優しいやつであることを知っていたからだ。その助けになろうと天道は思考を巡らせた。そして桜庭がわざわざ相談してきた理由を悟った。想像以上に難易度が高いのだ。簡単に思いつくアイディアには全て出来ない理由も一緒に思いついてしまう。
「でもさあ、今回は結婚式のCMだぜ? お前も企画書読んだんだから分かるだろ。あくまで主役は花嫁だ」
「それは分かってる」
 これは企業からオファーが来たCMの仕事だ。企画書を読めば分かるように、このCMのターゲットは「花嫁になる人、なりたい人」である。桜庭の言う「彼ら」はそもそも今回の仕事では客とみなされていない。その状況で彼らに配慮やアピールをすることの難しさは二人ともよく理解していた。
「……いや、やっぱり今回の仕事の中でなにかするのは無理だろ。やれるとしたら、今後別の自由度の高いところで配慮するしかない」
「やはり君でもそう思うのか」
「自由にできるってところでは事務所のブログになにか載せるのも考えたけどさ、これも今回は難しい。競合するような内容や先に衣装だしちまうようなのはまずい」
「そうだな」
 そう言って桜庭は力なくソファに沈みこんだ。そしてその姿は天道の目にとても悲しく映った。
 桜庭がしようとしていることは決して間違っているわけではない。その力になってやれないことが天道は純粋に悔しかった。
「こめんな、いい案が浮かばなくて」
「いや、君は悪くない。僕が我儘を言っているだけだ」
「我儘とは言わないだろ。今回の場合は」
「いや、我儘ってことでいい」
 彼らを救うことへ天道輝を加担させようとした時点でこれは全て己の我儘であると桜庭は思っている。そしてそれが天道へ伝わるはずもなかった。だからこそ話が終わった後も、桜庭がファンにしてあげたいこととして天道の意識の片隅に残り続けた。そして撮影の三日前、ひらめきと共に具体案としての形を得て、「当日は白っぽい服着てこいよ!」という言葉にまで進化したのだった。

 均一に染められた茶色の長髪がウェーブを描いて背中を覆い、更にその上から透ける白いベールが掛かっている。身長は平均より少し低い。桜庭のパートナーに選ばれた人は女性らしさに溢れる人だった。最終のみではあるが、桜庭自身も選考に加わった以上、人選にはなんの不満も抱いてはいない。そもそも今回の撮影で自分の我儘を押し通すことは微塵も考えていなかった。相手役にも花嫁としての演技以外は何一つ望んでいない。ただ隣りにいた天道だけが、意外と言わんばかりの顔をしていた。その天道はといえば、出会い頭に桜庭が着ている白いサマーニットを見て「よし」とうなずいたきり、仕事以外のことは言いもしなければやりもしなかった。
 そうしているうちに天道が撮影を終え、桜庭も撮影を終えた。今回一番の不安要素であった柏木の撮影も、本人の努力のおかげでなんの問題も無かった。
 そしてジュピターの撮影が始まった頃、やっと天道が動き出した。
「早く着替えてこいよ」
 と桜庭に耳打ちしたのである。桜庭は驚きつつも反論した。
「ジュピターの撮影も見たい」
「タキシード姿は載せられない」
 そうだろ? と言いながら、天道は桜庭の体を反転させた。そのまま背中を押してくるので桜庭はしぶしぶその場を後にした。残った天道はあたりを見回して、一人のスタッフへ近づいていった。

 桜庭が着替えて戻ってきたときにはすでに天ヶ瀬の撮影は終了していた。隅の方で女性スタッフと話している天道の姿が桜庭の目に入る。天道に言われたとおりに着替えたものの、これからどうすればいいのか分からなかった桜庭は撮影を見ることを選んだ。
 その間も天道はスタッフと談笑しながらも撮影の進行を気にしていた。北斗の番が始まった頃、もうひとり別のスタッフが近づいてくる。
「天道さん。これでいいですか?」
「ありがとうございます。ちょっと使ったらすぐ返すので」
 スタッフの差し出したものを見て天道は嬉しそうな顔をした。壊れ物を扱うような手付きでその二つをそっと受け取る。見られていないか確認するために桜庭へ視線を向けたが、彼は真剣な表情で撮影中の伊集院を見ていた。
「天道さんも早めに着替えてくださいね?」
「ホントにすみません。すぐ終わらせるんで」
 今から着替えに向かったら間に合わない。別にスタッフも怒って言ったわけではなく、また天道もそれを理解していた。笑いながら謝りつつも天道は撮影が終わるタイミングを待っていた。
 伊集院やカメラマンたちが祭壇の前から動いた瞬間、天道が桜庭の元へ急いで近寄っていく。今回天道がひらめいたアイディアを実行するにあたって、内容を桜庭に内緒にしておく必要性はあまり無い。実際、思いついたときはすぐ桜庭へ伝えようと思った。ただちょっと考えた結果、桜庭が拒否する可能性があると思ったのだ。だったらいっそ内容は伝えず、時間がないことを逆手に取って焦らせ、勢いに任せて実行してしまおうという魂胆である。
「桜庭!」
 駆け寄った天道は右手に持っていたそれを桜庭の頭へ被せる。突然のことに驚いている桜庭の手を掴んで引っ張った。
「ほら行くぞ!」
 何が起きているのか分かっていない桜庭を、天道は急ぎ足で祭壇の前まで連れてきた。
「これ持って」
 そういって左手に持っているブーケを差し出しながら掴んでいた右手を離し、ポケットからスマートフォンを取り出す。
 白く霞んでいる視界から、桜庭は差し出されたピンク色のブーケを見た。頭に被せられたベールを掴んで外す。見間違えるはずがない。ブーケもベールも間違いなく天道の相手役の女優のために用意されたものだった。
「タキシード姿は載せられない」
 ベールを手に俯いている桜庭に向かって天道が言った。桜庭は何も答えない。
「相手にプロポーズや誓いの言葉を述べているような写真も難しいだろ。CMで見せるためのものを事務所のブログへ上げる訳にはいかない」
 だから僕は諦めた、と桜庭は口に出して言いたかった。天道が白い服を着てこいと言ったときだって、どうせ大した事はできないだろうと内心で勝手に諦めていた。
「彼らは花嫁役に応募することすら出来なかったし、彼らを花嫁役にはしてやれない。だけど、花婿にならしてやれるだろ?」
「……ダメだ」
 花嫁役に応募できなかったのは何も彼らだけではなかった。桜庭も同じだ。にもかかわらず同じユニットのメンバーだから、同じ仕事をしているから、という理由でここに立っていいわけがない。ましてや彼女が勝ち取ったものを身に着けて天道の隣に立つ資格など、本気で自分には存在しない。桜庭は天道に向かって叫んでやりたかった。
「でも他に思いつかなかったんだよ。お前が嫌がるだろうとは思ったけど」
 骨を切らせて肉を断つつもりでさあ、と続ける天道の言葉を、桜庭は「ちがう」と遮った。
「これは彼女が勝ち取った……物だ。僕が使っていい物じゃない」
 勝ち取った場所、と言いそうになったのを桜庭はぐっとこらえて言い換えた。
「それなら大丈夫だ。ちゃんと許可はとってある」
 ほら、と言いながら桜庭の斜め後ろへ視線を送る天道につられて桜庭も振り返る。天道の相手役の女性とスタイリスト、そしてなぜか桜庭の相手役を努めた女性も一緒に隅の方で並んで立っていた。動き回っている人が多い中、彼女たちはにこにこしながら天道と桜庭の二人を見ていた。
「ちょっと写真撮るだけだから」
 天道は改めてブーケを差し出した。天道の胸にあるのと同じピンクのアネモネをメインに誂えた可愛らしいそれを、桜庭はそっと受け取った。撮影を無事に終えたばかりの式場は、ほっとしてにこやかに会話する者や、撤収作業に勤しむ者たちの音が蔓延している。もちろんその空気は天道と桜庭にも届いていた。それでも天道はいつもどおりの軽やかな表情のまま、空いた手でベールを取り、再度桜庭の頭にそっと被せた。
 白い帳が視界を覆うと共に桜庭も俯いて目を閉じた。これは仕事だ、と自分に言い聞かせる。これはアイドルの桜庭薫がファンのためにする活動であり、ユニットメンバーがその手伝いをしてくれている。小さな深呼吸と共に桜庭はその事実を受け止めた。受け止めた上で、天道に心から礼を言いたかった。
 桜庭がまぶたを開いたことを確認した天道はスマートフォンを構えた。桜庭にピントを合わせるべく、小さな画面に映し出された顔に一瞬だけ触れる。
「撮るぞ」
「ああ」
 天道が画面のボタンを押すと同時に最小まで絞られたシャッター音が鳴る。撮れた写真を見た天道は首を傾げて悩んだ。そして「もう一回」と言って再度桜庭へスマートフォンを向けた。今度は自分の顔の前ではなく、少し上へ持ち上げている。それにつられて桜庭も上も向いた。
「顎上げるなよ」
 画面越しに見ている天道に指摘され桜庭はつい大げさに顔を伏せた。
「あっ。……いや、それでいいや。伏せ目のまんまで」
 天道はまたシャッターボタンを押した。左下をタップして写真を確認する。少し上の角度から、ベール越しに伏せ目の桜庭が映っている。
 写真を見た天道はそのきれいな伏せ目と白いベールの間にある黒いフレームに目が行った。そういえばメガネの花嫁は見たことがないと天道は思った。特別感を出すなら外してもらったほうがいいかもしれない。しかし桜庭らしさを重視するなら掛けたままのほうがいいだろう。
 もしもじぶんが桜庭のことを好きだったら、と天道は必死に考える。そしてその姿を桜庭は正面から見つめていた。
 桜庭はふと、昔にテレビの前で正座してみたヒーローの姿を思い浮かべた。テレビの前の子供の事情など、彼は知る由もない。それでも彼は間違いなく当時の桜庭を救ってくれる人だった。
「よし、これでいく!」
 悩んでいた天道はまるで自分に言い聞かせるように力強くうなずいた。天道が何を悩んでいたのか。それは勿論桜庭が知る由もない。撮影裏のヒーローの悩みなど、子供が知らないのと同じように。
 祭壇前から撤収してすぐ、天道はスマホを手にしたままプロデューサーのもとへ駆けて行った。ブログへ載せる許可を得るためだ。その背中に向かって桜庭は小さく「ありがとう」と呟いた。