アルコールは知能までも気化させる

「トップアイドルになったらさ、結婚しようぜ」
「断る」
 高円寺のマンションで男が二人、特に理由も無く酒を呑み交わしている。出会った当初にはあり得なかった状況だ。暫くして桜庭が天道の家へ上がるようになってからも、二人の胸の内には必ず仕事なり恋愛感情なり、何かしらの理由があった。さらに暫く経って二人が恋仲になってからも、やはり恋人を家に上げる、恋人の家に上がるのには、表面と内面の二つの理由が常に存在していた。そこから更に時間が経ち、二人が出会って2年が過ぎた今、漸く本当に意味も無く一緒に居られるようになった。冷蔵庫の中身で天道が簡単に作ったつまみ、お洒落でもない酒、適当につけた面白くもない深夜番組。色気の欠片も無い空間で天道が放ったプロポーズは、いとも簡単に拒絶された。
「そんなきっぱり断ることねーだろ」
「あのな天道、僕たちは野球選手を夢見る小学生じゃないんだぞ」
 桜庭の言葉に、天道はアルコールで赤くなった顔を傾ける。その仕草から例えが伝わってないことを感じ取った桜庭は、小さく溜息をついて再び口を開いた。
「僕たちにとってトップアイドルは漠然とした夢ではないだろう。時間こそ掛かるが、必ずなるものだ。だからここではいと応えたら、僕は必ず君と結婚することになるだろう」
「すればいいだろ、結婚」
「そもそも出来ないだろう。法律的に」
「分かんないぜ? 俺らがトップアイドルになった頃には出来るようになってるかも知れないだろ」
「君そうとう酔ってるだろ」
 普段通りの涼しい顔で言い放たれた桜庭の言葉に天道は黙り込んだが、「よし!!」という大きな声と供にローテーブルへ勢いよくグラスを置き
「じゃあ結婚の約束は無しでいい。むしろそんな約束は必要ない!」
 と言い放った。
「だってトップアイドルになったらの話だろ? ということはその時の俺はトップアイドルな訳だ」
「そうだな」
「トップアイドルの恋人にプロポーズされて断れる奴なんていない。むしろお前の方から結婚してくれと言ってくるに違いない。なぜならその時の俺はトップアイドルになれるほどカッコいいんだからな!」
「それは良かったな」
 投げやりな相槌を打つ桜庭は明らかに面倒そうな顔をしている。
「まあその頃には引く手数多だろうけどな。何せトップアイドルだし」
 グラスを傾けていた桜庭の手がピタリと止まる。そのままゆっくりと天道を向いた顔には少し怒りが含まれていた。
「あのな天道、君がトップアイドルになれた時はな、僕も隣でトップアイドルに成っているんだぞ」
 そこまで言うと桜庭はグラスをぐっと傾けて中身を一気に飲み干す。そのままグラスをローテーブルに音を立てて置き、また口を開いた。
「その辺の奴なんかに負ける訳が無いだろう。むしろ僕を繋ぎ止めて置かなくてはいけないのも、結婚してくれと頼んでくるのも君の方だ。何せその時の僕はトップアイドルになれるほど完璧なのだからな」
 天道は挑発的に言い返された言葉に一瞬驚いた表情をしたが、すぐにいたずらを仕掛ける子供のような笑顔を浮かべる。
「じゃあ賭けようぜ。トップアイドルになったとき、先にプロポーズするのはどっちかだ。お前が負けたら俺と結婚してもらうからな!」
「君が負けたら?」
「お前と結婚してやるよ」
「賭けになってない」
 桜庭は大きな溜息を吐いてソファに身を沈めた。酔っ払いの相手は楽ではない。桜庭が疲れ果てた事など気にも止めず、天道が横から凭れかかる。
「桜庭」
「なんだ」
「好きだよ」
「……知ってる」
 そうつぶやいて桜庭は天道の肩に頭を預けた。
 BGM代わりのテレビが、本格的に下らない内容へ変化してきた。明日の仕事の為にそろそろ眠りにつくだろう。
 明日になったら忘れるほどではないが、蒸し返して確固たる約束にするほどでも無い。そういやそんな話もしたな、といつか話に上がるだけの理由の無い会話など、出会った当初は誰も考えられなかったことだ。二年の月日をかけて作ったそばにいて当たり前の状況が生み出す無意味な会話が、今日も二人の男の安らかな寝顔を作るのだろう。