美人とかわいいの代名詞

 翼はよく犬に例えられるが、桜庭を動物に例えるなら間違いなく猫だろう。猫を飼ったことは無いが、警戒心の強さや素っ気ない態度は一般的に想像する猫そっくりだ。
 付き合う前からそうは思っていたが、まさかこんなところまで似ているとは。そう驚いたのももう随分と前な気がする。
 重たい左側から向けられる視線をわざと無視するように携帯電話の画面を凝視する。今の俺は弁護士時代にお世話になった人のメールに返信しなければならないんだ。画面の上部に表示された時刻はもうだいぶ遅い。常識的な就寝時間より前に返さなくては失礼だろう。頭をフル回転させて文面を考えたいのに、普段冷たい恋人は甘えるように俺の肩にしなだれかかっている。
 桜庭が甘えてくるのは決まって俺が何かに集中しているときだ。普段素っ気ない癖に、邪魔するように自分にかまえとアピールしてくる。最初は純粋に嬉しくてしょうがなかった。馴れてきた今はキーボードの上に寝転がる猫みたいだな、なんて可愛く思っていたが、急ぎのときにやられるのは堪ったものじゃない。
 左腕の服を引っ張るように握られる感覚に心がぐらぐらする。神経の殆どを持って行かれている自覚はある。馴れたとはいっても、かわいいものはかわいいのだ。左側を向いてしまえば、拗ねたような顔をして俺を見つめている桜庭が目に入るのだろう。それだけは避けなければいけない。今この携帯電話を投げ捨てるわけにはいかないのだ。
 お望みどおりかまってやりたい衝動をぐっと堪えて口を開く。
「桜庭」
 名前を呼んでも返事はない。それどころか身動き一つしない。
「ちょっと離れてろ。すぐ終わらせるから」
 やっぱり返事はない。その代わりと言わんばかりに服を引っ張る力が少し強くなる。心だけじゃなく脳ミソまで揺れそうだ。負けるな、俺。ここで負けたらおしまいだ。
「頼むから。本当にすぐ終わらせる」
「……いやだ」
 口を開いたかと思えば、同時に肩に額を擦り付けてくる。おそらく分かってやっている。本当に厄介だ。
「文字を打つのに支障はないだろ」
 あるから離れろって言っているんだ。そう言えたらどんなに楽だろうか。口調はいつもの桜庭なのに、近距離から耳に届く声色はずっと甘い。堪えきれずその発生源を見れば、想像通り長い睫毛の下から、碧みがかった瞳がこちらを見据えていた。
「……はやく終わらせろ」
 綺麗に整ったこの顔は、稀に驚くほどかわいい表情を浮かべてくる。

 先生ごめんなさい。返信までまだまだ時間が掛かりそうです。