紫を吐く

 コンビニで貰った試供品の煙草は俺が愛煙しているのもと同じ銘柄だ。パッケージのデザインは殆ど変わらない。ただ一目で分かる通り、色だけがガラリと変わっている。購入した赤い箱と貰った青い箱を並べて置いてみると、驚くまでもなくそっくりで、驚くまでもなく正反対な印象を残す。試供品の封を開けようかと少し悩んで、開けずにポケットへしまい込んだ。

 屋上で直射日光に焼かれながら、煙草から直接煙を吸い込む俺の横で桜庭が時折口の中で乾いた音を鳴らす。副流煙の方が身体に悪いんじゃないのか。そんな言葉が煙と共に出て来そうになるが、ぐっと堪えて溜息に変える。喫煙所は社会人の小さなオアシスでもある。そして喫煙所でシガレット型のラムネを食べてはいけない決まりはどこにも存在しない。
 桜庭は遂に煙草をやめた。女性向けの薄ピンクの箱が握られていた手には、子供向けの駄菓子が握られている。これはこれで別のベクトルにかわいらしいが、俺がアイドルになる前に見た、あの色気をまとった空気は完全に姿を消した。それでも他人同士だったあの頃より、俺について駄菓子を片手に喫煙所に来る桜庭の方が俺はずっと好きだった。
 それにしてもタイミングが悪いなと、ジャケットのポケットにしまい込んだ青い箱を思い浮かべる。パッケージの色で煙草を選ぶ奴なんていない。それでもお揃いでそれぞれのイメージカラーの煙草を吸っているってのも乙なものだろうに、今の桜庭に渡しても、きっと火はつけてくれない。同じ銘柄だから味は大きく変わらないだろうが、かといって自分で吸う気にもならない。煙を吸いながら、宙ぶらりんな煙草の行き先に思いを巡らせてみるも、こうも綺麗な青色だと桜庭が所持する以外の選択肢が見つからない。少し小ぶりな箱も、細い手に良く映えるだろう。やっぱり桜庭が持っているのが一番いい。何ならこいつの家に置いてもらえばいいんだ。桜庭の家でなら、俺も吸う気になるかもしれない。
「これやるよ」
 コンビニで貰ったからさ、と付け加えて差し出すと、桜庭は怪訝そうな顔をしながら受け取った。
「君が吸えばいいだろう」
「うん、だからお前の家に置いといて」
 手のひらで青い箱を転がしている桜庭から視線を外して空を見上げる。すると隣から不意に乾いた音が鳴る。ラムネを噛む音ではなく、銀紙を切り取り線から引き取った音だ。
「……ん」
 驚いて隣をみると、細身の煙草をくわえた桜庭がこちらに先端を向けている。やめたんじゃなかったのかと思いながらも、俺も煙草を咥えなおして先端同士をそっと押しつけてやる。俺の煙草から燃え移る火をじっと見つめていたが、数秒後には着火しそっと離れていく。
 シガーキスはやるより見てる方がずっとドキドキする。煙草一本がだいたい俺の人差指と同じ長さだ。それが二本分。実際やってみると、そんなに近くない。そのうえコントロールの難しい唇で咥えて先端同士を合わせるのは少し神経を使う。着火も早いわけではないから、ライターを使った方がよっぽど早くて便利だ。
 それでも桜庭は、偶にこうして俺から火を貰う。まあ今の場合はライターを持っていないのが一番の理由なんだろう。
 混ざり合う煙名残惜しいが、最後の一口を吐き切って携帯灰皿へ押し付ける。
「……もういい」
 すっと差し出された煙草は半分も減っていない。俺が受け取って咥えると、桜庭が持っていた青い箱はポケットの中の駄菓子の箱と入れ替わった。
 やっぱり味はあんまり変わらないな、と考えている俺の隣で、乾いた音が鳴る。
 吐いた煙は相も変わらず紫色だった。