ちょっとした魔法¥780税込

 今日の桜庭は何かが違う。一目見た瞬間に天道はそう直感した。今日はドラスタ恒例の月末定例ミーティングである。三人がデビューをして早数年、着々と仕事をこなしてきた成果ははっきりと現れていた。楽曲ビルボードにライブ動員数、グッズの売り上げ、テレビの視聴率にブログの閲覧数やコメント数、そしてなにより舞い込む仕事の数はデビュー当初とはもはや比べものにもならない。そしてその仕事の半数以上が個人に対する依頼であった。DRAMATIC STARSというユニットは実に個性が散けており得意な分野が違う。それぞれが得意なことを全力でこなしているうちに気がつけば一ヶ月以上も顔を合わせていない、などという事態が頻繁に起こるようになった。
 これに対して真っ先に危機感を覚えたのは天道であった。とはいえ柏木に関してはあまり問題視していない。連絡をすればすぐに返事をくれるし、最近会えていないから時間を作ろうと提案すれば乗り気で合わせてくれる。問題は桜庭であった。仕事の用事以外ではLINKをろくに返さない。返ってきても必要最小限の短文であり、飯にでも誘おうものなら『その必要性は感じない』などと辛辣な答えでぶった切られる。流石の天道も心が折れそうになることが何度もあった。結成当初こそ会うたびに喧嘩をしていた仲であるが、年単位の交流を続けることで随分と桜庭のことを理解できるようになった、と天道は思っている。彼に対して腹を立てる機会も減った。言葉のとげは未だ健在だ。しかし対面していればその声色から、視線から、そして表情から言葉の裏にある優しさや真面目さを十二分に読み解くことができるほどの時間を共有してきた。対面していれば、の話である。
 文章のみのやりとりとなると話は別であった。判断材料が文字のみとなった瞬間に、途端にその辛辣さが際立ち始める。自分の発言が他者からどう思われるのか。年単位でアイドルという職業に従事しているはずなのに桜庭はそれが完全に欠落しているとしか思えない、というのが天道の正直な感想である。とはいえ桜庭がメディアの前で失言をしたことはない。欠落しているのではなく天道には一切の気を使う必要はない、と思われているだけの可能性もある。実際、柏木に対してはもう少し優しいもの言いをする。以前柏木と食事に行った際にLINKを見せてもらったことがある。それを見た天道は正直に驚いた。そして俺にももうちょっと気を使ってもいいんじゃないか、などと考えたが、桜庭本人に伝えたところで食い気味に却下されるのは目に見えているので心の内に留めることにした。
 桜庭本人からしてみれば対面だろうがLINKだろうが態度を変えているつもりはないはずである。だからこれは受け取る天道側の問題と言われれば彼はなんの反論もできない。それでもさあ、もうちょっとさあ、と食い下がりたくなるのは天道が桜庭を好いているからにほかならない。それは仲間的な意味であり、そして恋愛的な意味でもある。しかし後者に関しては桜庭に聞くまでもなく一方的なものなので、天道は必死に前者のみを全面に押し出してDRAMATIC STARSのリーダーを務めていた。せめて月一くらいは三人で顔を会わせる方法ないか? できれば桜庭も納得して参加するような方法だといいんだけど。そう零した天道にプロデューサーはきっちりと応えた。以来、DRAMATIC STARSは来月のスケジュール確認と今後のプロデュース方針のすり合わせのための定例ミーティング、という名目で各月の末に事務所へ集っている。

 そんなわけで今日も朝から事務所のミーティングスペースを陣取っている。真っ先にやってきたのは天道であった。続いて柏木、プロデューサーが席に着く。桜庭を待ちながら和やかに談笑を続けているうちに気がつけば開始時間の十分前となっていた。壁の時計は八時五十分を指している。企業としての315プロダクションは始業を九時としており、案の定事務を始めとした裏方の職員たちは元気よく挨拶をしながら席へ着き始めていた。目の前に並んで座る柏木とプロデューサーとの会話を続けながら、天道はついチラチラと時計へ視線を向けてしまう。日頃の桜庭なら十五分前、遅くとも十分前には涼しい顔をして着席している。さてはまたコーヒーを切らしたのではないか。謂わば朝にだけ観測することができる希少種、ふわふわぽやぽやした桜庭薫の姿を天道は思い浮かべた。塩と砂糖の区別すらつかないそれは実に愛くるしくて可愛げがあるが、反面危なっかしくて仕方がない。桜庭の自宅から事務所へ向かうまでの道筋は当然知っている。迎えに行くべきか、いやまずLINKを送ってみるべきか。いやそもそも開始時刻にもなっていないんだから心配するのは早いんじゃないか。天道が悩んでいるところでやっと桜庭は顔を出した。九時まですでに残り六分のところであった。
「僕が最後か。遅れてすまない」
「まだ九時前ですよ。大丈夫です」
「珍しいな。寝坊でもしたか?」
「してない」
 淡々と言いながら天道の隣へ座った桜庭の姿を、天道はしっかりと捉えた。そして思った。今日の桜庭は何かが違う、と。天道は改めて桜庭の顔をじっと見る。違和感、と表現するのは語弊がある。とにかく普段と印象が違う。服装はいつも通りである。若干肌寒くなってきた気温に合わせて衣替えこそしているものの、特筆する点は天道には思い当たらない。言動や声、髪型や眼鏡にも普段と異なる部分を見つけることはできない。ならば原因はいったいなんなのか。天道が疑問に思いながら桜庭の顔をひたすら眺めていると横目でぎろりと睨まれた。仕方がないので天道は正面へ向き直る。人の顔をじろじろと見るのは褒められた行為ではない。流石に今のは己に非があったと天道は反省した。
 天道が気を取り直したところで始まったミーティングは特筆すべき点もなく終わった。そもそも顔を合わせることを目的として組まれているし、定例として毎月行ってきたので流れもある程度決まってきている。今月の反省という名の感想合戦、来月のスケジュールと仕事の不安点や共有しておきたいこと、今後挑戦したい仕事や再度やりたい仕事。その辺までいくとだいたい話が逸れていく。他ユニットのライブ見に行ったがとてもよかった、地方ロケでものすごく美味しいお店を見つけました、ドッキリ番組で特撮ばりの爆発があってテンションあがったエトセトラ。そうしているうちに時間がきて解散となる。やはり今日もいつも通りのドラスタ定例月末ミーティングであった。強いて言うなら天道自身の気が散っていたことくらいである。
 そもそもアイドルという職業柄、衣装もヘアメイクも仕事によって千差万別である。なので普段と印象が違う、などということは日常茶飯事なのだ。ドラマや映画、舞台のメインキャストに選ばれればそれに合わせて髪色やその長さまで変えることもある。だからちょっと普段と違うくらいどうということはないはずであった。なのになぜ今日はこんなにもその違いが気になるのか。天道自身にもよく分かっていない。少なくとも初めて見る雰囲気ではなかった。ときたま仕事で、バラエティではなくグラビア撮影などの現場でこんな印象を纏っている桜庭を見たことはある。とはいえ桜庭が日常生活で化粧などしているはずもなく、さりとて顔以外に変わった部分は見当たらないので天道はひたすら隣に座る桜庭をちらちら見ていた。向かいに座る柏木とプロデューサーは特に気にしている様子が見えず、当然話題にも上げないのでもしかしたら自分の勘違いなのではないか、いやでもやっぱなんか違う気がする、などという思考が時間いっぱい頭の片隅に居座っていた。

 定例ミーティング終了後、桜庭とプロデューサーはそのまま次の仕事の打ち合わせをするとスペースへ残った。柏木と天道は並んで歓談スペースへ移動する。残った二人が会話を始めたことを衝立ごしに確認してから天道は小声で「なあなあ翼」と話しかけた。
「今日の桜庭、なんかいつもと違うよな?」
 柏木は分かりやすくきょとんとした顔をした。そのまま顎に手を当てて数秒ほど悩む仕草をしたが、そのまま小首を傾げ始めた。
「いつも通りだったと思いますけど……」
「そっか。俺の気のせいか?」
「オレにはちょっと分からなかったです」
 そのまま柏木がうんうんと一生懸命に考え出してしまったので天道は慌てて止めた。やはり自分の勘違いだろうか、と思いながら「お前この後仕事だろ? 時間大丈夫か?」と尋ねる。柏木はハッとした顔をしたあと、挨拶をして慌てて事務所を後にした。しばらくしてから天道が窓から下を覗くと、ビルを降りて道を歩く柏木の後ろ姿がやはり悩むように小首を傾げており、それを見て心の中で「ごめん」と謝罪した。
 天道は窓から離れてソファへと座った。今日の仕事は午後からであり、移動を考えてもまだ十二分に余裕がある。事務所に用は残っていないが特にやらなくてはいけない用事もない。こんな日に限って事務所には他のアイドルの姿は見当たらなかった。レッスン室にはいるかもしれないが暇つぶしで邪魔をするわけにもいかない。天道はしばらく悩んだのち、鞄から文庫本を取り出した。一度帰宅してもいいし、余所の喫茶店で時間を潰す選択肢もある。しかしどうしても気になった。自分だけではなく柏木まで悩ませてしまったのだ。こうなってはもう答えを見つけなければ気が済まない。さながら高難易度の間違い探しのようだな、と思った。そして間違い探しならじっくり見ながら探すほかない。天道が事務所を出るのが先か、桜庭が打ち合わせを終えるのが先か。文庫本を開いて睨み付けていると前方でコトリと音がした。天道は慌てて顔を上げる。にこやかな表情をした山村がカップをローテーブルに置いてくれる音であった。

 衝立の向こうから出てきたのは桜庭一人であった。プロデューサーは反対側から自分のデスクへ戻ったらしい。天道はさっと手元の本に栞を挟んで顔を上げる。そして座ったまま桜庭の顔をじっと見た。天道がまだ残っていると思わなかったのだろう。桜庭は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに鋭い視線で天道を睨みつけてきた。天道も負けじと真面目な顔で凝視し続ける。やはり違う。あきらかに何かが違う。両者による数秒間のにらみ合いののち、それを破ったのは桜庭であった。
「そんなに変か」
 そう言いながらぷいと顔を背けられる。ああやっぱり、と天道は思った。いつもと同じならそんな言葉は出てこないのだ。普段と違う部分があって、桜庭はそれを自覚している。これはもう本人に答えを聞いたほうが早い。それはそれとして今の言葉には語弊がある。そこはきちんと否定しなければならない、と天道ははっきり口を開いた。
「いや変なわけじゃないけど。……いつもと違うのは分かるんだけど、なにが違うのかは分からないんだよ」
 天道が素直に言うと桜庭はちょっと怒ったような、拗ねたような顔つきのままポケットへ手を入れた。そこから出てきたのは黒いスティックであった。ちょうど人差し指ほどの長さで細いそれが桜庭の手に収まっている。
「リップ?」と天道は首を傾げた。桜庭は無言でそれの蓋をとり、下部を回す。そこからゆっくりと出てきた色はちょうどピンクとベージュの中間であった。
「そろそろ乾燥してきたから駅ナカで今朝買った。……無色を選んだつもりだった」
 つまりは買い間違えたわけだ、と天道は合点した。大方買い直すか悩んで、まあ対して目立たないはずだなんて思いながらそのまま来たのだろう。桜庭が化粧品になど詳しいはずもなく、なんなら寝ぼけていた可能性すらある。桜庭の朝の弱さはよく知っていた。
 天道は改めて桜庭の顔をしっかりと見た。言われてみれば一目瞭然である。いつもは主張の少ない薄い唇にほんのりと色が載っている。はっきりと発色する口紅なら別だが、この程度ならノーメイクで塗っていても違和感はない。むしろ知らない人が見たら、元の唇の色と勘違いをする可能性すらあるほど自然であった。
「まあいい。後で買い直す」
 むくれた顔のまま隣へ移動してくる桜庭を、天道は無言で見つめていた。ひたすら顔に視線を合わせて追い続ける。桜庭が腰掛けた後も真横からじっと見つめ続けた。白い肌に整ったEライン。その下部でいつもより血色のいい唇が艶を伴って鎮座している。密度は高くないがすっと長く伸びた睫毛の下で、水色の瞳が天道のほうを向いた。未だに凝視されていることに気がついたらしい。桜庭の眉間はみるみるうちに皺が寄っていく。あ、怒る、と天道が思った瞬間に桜庭は勢いよく立ち上がった。
「もういい。今買ってくる」
 低い声でそう言い放ちながら歩き出そうとする桜庭の手を、天道は慌てて掴んだ。
「だから変じゃないって!」
「じゃあなんだ! さっきからじろじろと人の顔ばかり見て!」
「だから……、変じゃなくて……」
 えーっと……、と言いよどむ天道を、桜庭は容赦なく睨みつけてくる。人の顔をじろじろと見るのは褒められた行為ではない。流石に今のは己に非があったと天道も理解している。とはいえこんなの見ざるをえないし、それに対する弁解をしなければいけないことも分かっている。数秒以内に「変じゃなくて」の続きを言わなければ数週間単位で口をきいてくれなくなることは明白であった。しかし残念ながら一つの感想が脳裏を占めているので他の単語が出てこない。もはや賭けであった。無言ならマズいことになるのが確定しているのだから口に出すほかない。結成当初すら数えるほどしか見たことないぞと言いたくなるほど鋭い視線を向けられたまま、その目をしっかり見据えたまま天道は言った。
「かわいいよ」
「……は?」
 ちょっと信じられないほど強い力で腕を振りほどかれる。そのまま桜庭は早足に事務所を出て行った。ドアの閉まる音を聞きながら天道はため息をつく。目の前のカップをゆっくりと手に取って一口飲んだ。もう随分と冷めていた。駄目だったかあ、ともう一度ため息をつきながら、次に会うのはいつだったかと先ほどのミーティングで聞いたスケジュールを思い出していた。

 そんな事件から約一ヶ月後、ドラスタは今日も事務所のミーティングスペースへ集うことになっていた。月末恒例定例ミーティングである。結局あれから天道と桜庭が顔を合わせる日はなかった。ミーティングスペースへ入りながら、絶対口聞いてもらえないだろやだなー、と苦い顔で思ってしまうのは天道が桜庭を好いているからにほかならない。それは仲間的な意味であり、そして恋愛的な意味でもある。しかし後者に関しては桜庭に聞くまでもなく一方的なものなので、天道は必死に前者のみを全面に押し出してDRAMATIC STARSのリーダーを務めていたのだが、すでに座っている桜庭の唇がほんのり色づいており、こちらに気がついて逸らされた顔の横についている耳もやっぱり色づいており、ちょっと悩んで隣に座り小声で「かわいいよ」と言ってみたら肩に拳が飛んできたがそれは予想よりずっと力が弱かったので、今後は後者も押し出していくべきである、と天道は一人で決意した。