まさか惚れるなんて、そして付き合うなんて、このころはまだ想像すらしていなかった。
ティラミスと、あとカラメルプリン
新人アイドルの仕事などそう多くはない。プロデューサーが取ってきてくれた仕事を一つ一つ全力でこなしながらも、未だに天道らのスケジュールにはレッスンや勉強会が沢山入っている。それでもなお空いている時間は事務所に集ったり、みんなで食事をしに行ったりしていた。そのたびに天道はなんだかまるで学生時代に帰ったかのような錯覚に陥ったりする。売れてきたらこんな時間もなくなってしまうのだろうか、と考えると少しばかり寂しいものである。
とはいえ常に三人が揃うわけでもない。弟妹の迎えにいかねばならないらしく、今日のダンスレッスン終了後の柏木はさっと帰宅してしまった。
そんなわけで桜庭と並んで天道はレッスンスタジオを出た。ちょうど日が暮れてあたりはオレンジ色に染まっている。日中は暑かった気温も下がり、心地よい風まで吹いていた。隣の桜庭を見れば、しっかりと前だけを見据えて真っ直ぐに歩いている。
「いつものファミレスでいいよな?」
天道が当たり前のように呟くと桜庭はやっとこちらを見た。しかしその顔はお世辞にも優しいとは言いがたい。
「僕は帰るが」
「え、なんでだよ。腹減ってないのか? あれだけ動いて?」
「柏木も帰っただろう。君と二人で食事など御免だ」
「いいだろ別に。ほら、おごってやるから」
まあファミレスだけどな! と天道が続けると桜庭は露骨にため息をついた。まあまあ、と天道はさらになだめてすぐに期間限定メニューの話に移る。その話題に対して桜庭がきちんと乗ってきたので、なんだよほら来るじゃん、と内心思いつつ口には出さずに真っ直ぐファミレスへの道のりを進むことにした。
もう何度来たかも分からないファミレスへ入店し、いつもの四人掛けの、両面がソファになっているボックス席へ座る。奥に座った桜庭がメニューを取って広げてくれるので並んで眺めた。やっぱこの期間限定のやつ食べたいよなあ。え、お前また和風パスタ? それこの間も食べただろ。なんて普通に会話しながら注文し、ドリンクバーを揃って注いでまた席に戻る。隣の桜庭にちょっかいをかけながら待ち、料理がやってきたところで天道はやっと気がついた。
なぜ俺たちは横並びで座っているのだろうか。
確かに普段は、三人で来店するときはいつもそうだ。翼が一人前を遙かに超える量を注文するため、彼の前に沢山料理が置けるように一人で座らせ天道と桜庭が並んで座る。それは理にかなっているし、もはやドラスタ内では暗黙の了解と化していた。しかし今日は二人なわけで、当然向かいのソファは無人である。常識を考えれば明らかにおかしい。
そして桜庭が奥に座っているということは、このおかしな状況を作り出した犯人は間違いなく天道自身だ。なんで隣に座ったんだよ、と十二分前の自分に脳内で問いただすも「何も考えてなかった。いつもの癖で座った」などと意味不明な供述をしており、状況を打破するための情報は何一つ得られませんでした。別に今から移ればいいのか、と思い立つもすでに料理は横並びで卓上に鎮座している。今更これを動かして席を移るのはそれはそれでおかしくねえか? などと逡巡しているところへ隣から声をかけられる。
「食べないのか?」
横を向けば隣で桜庭が怪訝な顔をしていた。その手にはすでにフォークが握られている。
「食べるよ。いただきます」と天道が平常心を装って言えばそれで納得したらしい。桜庭は平然と、淡々と目の前のパスタを食べ始めた。つまりはなにも気にしていないらしい。……ならいいか! と天道は、現状をよしとして腹を満たすことを優先した。
数十分後、先に食べ終えた天道はまたメニューを眺めていた。医療ドラマのせいか、医者には早食いのイメージを抱いていたが桜庭はそれに当てはまらない。いつもゆっくり、そしてよく噛んで食べる。だから三人で来るときも大抵桜庭が最後に食べ終えるのだが、翼の注文量を考慮するとおかしな話である。なんにせよこうして二人きりなら天道が待つのは必然だ。結局隣に座ったまま、天道はのんびりと桜庭の完食を待った。そして彼がフォークを置いたところでメニューの、最後のほうにあるページを開いて指さした。
「なあ、デザートどれにする?」
「僕はいらない」
「なんだよ、じゃあ待たずに先に頼めばよかった」
えーどれにしよう、とまた天道がメニューに向き合おうとしたところでなぜか桜庭に肩を押される。何だよ、ともう一度視線を向けるとすでに鞄を手に持っていた。
「食べ終わったから僕は帰る」
「えー、それはひどくないか? お前もデザート食べればいいだろ」
「不要だ」
ええ、ともう一度抗議の声を上げる天道をどかそうとぐいぐい肩を押していた桜庭だが、数秒後にふとその力が抜けた。諦めたか? とその顔を見るとなんだかずいぶんと怪訝な表情へ変わっていた。
「……なぜ君は、僕の隣に座っているんだ?」
「お、やっと気づいたか」
「常識的に考えておかしいだろう。なぜ狭苦しく隣に並んでいる?」
「なんかいつもの癖で座っちまったんだよな。でも気づくの遅くないか? 俺は二十分以上前から気づいてたぜ?」
「なら移動すればいいだろう」
「まあいいかなって」
「よくない」
桜庭は露骨に嫌そうな顔をしてため息をついた。そのまま「なんにせよ僕は帰る。いいからどけ」と言ってくるので天道は腰を上げた。そのまま少しだけ浮かせて腕を伸ばし、奥にある店員呼び出しボタンを押してまたすぐに座り込む。
「おい!」
「どかねーよ。だから桜庭ちゃんは帰れません。はい残念!」
で、お前デザートどれにするの? と聞きながら顔をのぞき込むと、桜庭はずいぶんと悔しそうな顔をしながら「……プリン」と答える。表情と言葉のギャップがツボに入り、天道がケラケラ笑うと脇腹にけっこう強めの拳が飛んできてなかなかに痛い。
そうして桜庭の帰宅をブロックしながら、隣に座って正解だったな、などと天道は頭の片隅でのんきに考えていた。 後日、読書がてら天道がチェーン店のカフェに赴くと、そこには四人掛けボックス席のソファに二人並んで睦まじく一つのスマホを覗いている女子高校生二人組がいた。それを見た天道は、いきつけの店で女子高校生みたいなことをしてしまった事実に謎の精神的ダメージを負うはめになり、残念なことに読書はちっともはかどらなかった。
俺達は完璧で究極の
独占欲、とはまた少し違う気がしている。どちらかと言えばマーキングや縄張り意識に近いのかもしれない。天道自身、これがどういう欲から来ているのかはっきりは把握していないが、確かにそれは己の願望として昔からある。具体的な言葉にすると「よく遊びに行く家には俺のものを置いておいてほしい」である。俺用のパジャマとかコップとかスリッパとか、来客用ではなく天道輝用に常備してほしいのだ。ちなみに家主に用意してほしい、という願望はない。自身で持ち込んだもので十分である。
そんなわけで天道は数ヶ月前から、何度も桜庭の家に自身のものを持ち込んでいた。結成初期なんて住んでいる場所すら教えてもらえなかったが、最近は普通に翼含めて遊びに行っている。しかし「これ俺用な」となにかを置いていこうとすると全力で拒否された。仕方がないのでうっかり忘れていき、そうあくまでうっかりと持ち帰ることを忘れ、あーごめんまあ置いておいてくれ戦法を繰り出したところ事務所にある天道のロッカー内にきっちり返却されていた。それを何度か繰り返すが両者一歩も譲らず、設置に成功したのはせいぜい調理器具のみである。しかしこれはみんなでご飯を食べるためのものであって、天道専用のものとは言いがたい。実質全敗と言えるだろう。
このまま続けても埒が明かない。天道は作戦の練り直しを余儀なくされていた。仕事の移動時間にうんうん唸ること数十分、完璧で究極の作戦を考案することに成功した。名付けて「予備作戦」である。
つまり桜庭が普段使っているものと同一品を持ち込むのだ。そして桜庭には「これはお前の予備だ。今使ってるやつが古くなったらこれを使えばいい。ただし俺が来るときは俺がこれ使うから」と説明する。こうすることで桜庭の家に置かれたこれらの品はあくまで桜庭用の予備となり、しかし天道が訪れたときだけ天道専用のものに変貌する。これなら桜庭も文句を言わず家に置くだろう。我ながら冴えすぎている。天才かもしれない。天道はその後数日かけて桜庭が使用しているスリッパとマグカップを特定し購入した。パジャマに関してはすでに特定を終えており、というか家に同じのがあるのでそれをそのまま持ち込めばいい。
その三つを紙袋へ入れて事務所に保管、その後帰り際の桜庭をとっ捕まえて作戦内容を解説、そして紙袋を差し出すと桜庭は大変驚愕していた。驚いているというか、正気かこいつ、と言わんばかりの表情である。確かにこの欲求は桜庭には理解できないのだろう。しかし今回ばかりは拒否する理由がないはずだ。どや顔の天道対驚愕の桜庭で無言の向かい合いを続けること数秒、桜庭はあっさりとそれを受け取った。
「分かった。それが君の望みなんだな? 君はそれを望んでいるんだろう?」
「そうだよ」
「なら持ち帰ってやる。好きにしろ。……後悔しても僕は知らないからな」
なにやら意味深な言葉を残して帰って行く桜庭の背を、天道は不思議に思いながら見送った。それが一ヶ月前の話である。
そして今日は桜庭の家に泊まりに行くことになった。天道が出演することになった映画の、監督の作品を持っているらしいのでそれを見に行くのだ。天道は一ヶ月前の、桜庭宅への持ち込みへ成功した作戦を思い出す。そして異様に楽しみにしながら彼のマンションへと赴いた。夕方のことである。ちなみに柏木も誘おうと思ったが地方ロケで静岡の温泉に浸かっているらしい。それはそれで羨ましい。
到着早々「ほら」と桜庭が出してきたスリッパに、天道はテンションが大いに上がった。自身が渡したものである。これこそが天道の望みであった。完全なる勝利である。
飯は俺が作る、と事前に言っていたので持参した食材で夕食を作り二人で食べ、映画見るより先に風呂入っちまうか、ということで桜庭が上がってくるのを待つ。そして風呂上がりの桜庭に「俺のパジャマは?」と聞けばやはり一ヶ月前に渡したそれを差し出してきた。完全なる勝利である。
上機嫌でそれを受け取り、鼻歌を奏でながら湯を浴び終えた天道は当然そのパジャマを身につけた。鏡の前で髪を乾かしているときである。天道はやっと気がついた。衝撃の事実についドライヤーをオフにする。そのままひたすら鏡の中の自分を眺めるも、今更気がついたところでもう遅い。あの日桜庭が言っていた「後悔しても僕は知らないからな」とはまさしくこのことなのだろう。
天道はまだ乾ききっていない頭を抱えながら必死に考えたが、ここから挽回する方法は一切思い浮かばない。どうやら天才ではなかったらしい。むしろ頭が悪いのかもしれない。そもそも気づいていたのなら、その場で注意してくれればよかったのだ。天道は別にこんなことを望んでなどいない。天道は遠い目をしたままドライヤーを再度オンにした。残りの水分をきっちりと飛ばし、諦めたままリビングへと戻る。今から桜庭と二人並んで映画を見るのだ。
その桜庭はどうやら飲み物を用意してくれていたらしい。天道が戻ると両手に持ったマグカップのうち、片方をこちらに差し出してくる。
「デカフェでいいな?」
天道はそのカップをぼうっと眺めた。無の境地である。
「どうした? 受け取らないのか?」
「……違うんだよ」
「君が持ち込んだカップだろう? 君が望んで持ち込んだものだ」
「だから、違うんだよ」
天道は弱々しい声を絞り出してそう言った。確かに桜庭の持っているマグカップのうち、片方は天道が持ち込んだものだ。しかしそれがどちらなのか分からない。当然である。全く同一の見た目をしていた。天道がそれを探し出して持ち込んだのだ。
マグカップだけじゃない。パジャマもスリッパも、目の前の桜庭と全く同じだ。いっそ二人きりで幸いだったのかもしれない。身につけているもの全てがそうだ。他者がこの場にいたならば誰もが目を奪われていくだろう。アラサー男二人による完璧で究極のくつろぎペアルック三点セットである。
「この格好で? 同じマグカップで? 今からお前と並んで座って映画見るのか? 冗談だろ?」
「それが君の望みだろう?」
「ちげーよ!」と天道は思わず叫ぶ。本当に違うのだ。己はただ、桜庭の家に俺専用のものを置きたいだけであり、なんとかその望みを叶えようとあれこれ考えた結果、とんでもない欠点を見落としただけに過ぎないのだ。女子高校生のパジャマパーティでもここまで揃えないだろう。それをアラサー中年男性二人でやっているのだから始末に負えない。眼鏡以外の違いが一切存在しないのだ。
己の視野の狭さに天道は深いため息をついた。向かいの桜庭はざまあみろといわんばかりにふんと鼻を鳴らす。それもまた意味が分からない。肉を切らせて骨を断つにもほどがある。己がこの格好を恥じているのだから、同じ格好をしている桜庭もまた恥じるべきなのだ。こちらの失態を突きつけるほうが大切らしい。天道はガシガシと頭をかいた。
「……持って帰るわ」
「僕の予備だろう? 君が持ち帰る必要はない」
「あー、はいはい。全部やるよお前に」
早く映画つけろよ、と投げやりに言いながら天道はソファにどかりと座った。と同時に「野郎二人のペアルック三点セットはきついよなあ」と呟く。
「三点ではなく四点だ」
「パジャマとスリッパと、マグカップだろ? ……あとなんだ?」
「胃の中身」
ずいぶんとお医者さんらしい高尚な意見である。見えないからノーカンだろ、と反論しつつ天道はおそろいのマグカップに口をつけた。ミルクの入ったデカフェは普通にちゃんと美味しかった。
後日、自分だけがこんな目に遭うのはどうにも癪に障ったため、翼に「桜庭の家に俺のお泊まりセットあるから、翼も使っていいぞ」とLINKを送ったところ速攻でお断りされた。桜庭が事前に連絡していたらしい。完全なる敗北である。
よく分からないけどとりあえず異議あり
桜庭もずいぶん体力がついてきた、と思っていた。実際にかなり改善はされている。オーディションの合間に砂糖水を啜っていたころとは比べものにならないほど桜庭の体力は増えており、それは当然、彼自身の努力によるものである。天道はその変化を感心して眺めていたのだが、今日はどうやらだめだったらしい。聞けば朝の四時集合でドラマのロケ撮影をこなし、その後もずっとスケジュールが詰まっていた、と本人が語った。倒れたりこそしないものの、テレビ局で偶然会った桜庭は目に見えてげっそりとしていた。明日は朝七時に事務所集合である。その様子を見た天道は、彼を自宅に連れ帰ることにした。幸いにも自身の体力は十二分に残っている。お前は食って風呂入るだけでいいから、と言えば素直についてきた。差し伸べた手を突っぱねなくなったのもまた成長である。
そんなわけで桜庭に飯を食わして風呂に押し込み、天道は洗い物を終えてのんびり台本を読んでいると洗面台から唐突に大きな音が届く。すわ何事かと飛んでいけば桜庭が目をぱちくりさせていた。
「どうした!?」
「……ドライヤーを落とした、のだろう」
のだろう、ってなんだよと思いつつ床を見れば確かにそこには電源がついたままのドライヤーが転がっている。桜庭はそれに目を向けながら「乾かしながら寝たらしい」と呟いた。それで意識がないままに手から転がり落ちたのだろう。天道は桜庭より先にそれを拾い上げて電源を切った。コンセントも抜いて左手に持ち、空いた手を桜庭の肩に置く。
「リビング戻るぞ」
「まだ乾いていない」
「乾かしてやるから。お前は座ってろ」
とその背中を押す。お前は食って風呂入るだけでいいから、と言ったのは紛れもなく数時間前の天道自身である。そして本当に眠いのだろう。桜庭は大人しくリビングのソファに座った。コンセントを差した天道はその背後から温風を当てていく。中までしっかり乾くように反対の手で目の前の黒髪を解いた。自身のそれと比べて、桜庭の髪はずいぶんと細くて柔らかい。慣れない触感を楽しみながら「熱くないか」と声をかけるも返事はなかった。顔をのぞき込むとその目は完全に閉じられており、同時にがくりと桜庭の頭が垂れる。どうやら完全に寝てしまったらしい。起こしてしまわないように、優しい手つきを心がけながら天道は黙々と桜庭の髪を乾かす。しかしあの桜庭が、こうして己に頭を任せて寝こけている現状はなかなかに愉快であった。人の面倒を見るのは嫌いではない。任されるのは信頼の証でもある。
そうして上機嫌のまましっかりと桜庭の髪を乾かし、ついでに手ぐしでしっかり整え、ドライヤーを片した天道はソファの正面から桜庭の顔を覗く。軽く肩を叩きながら「乾いたぞ。起きれるか?」と聞くが完全に無反応だ。
しょうがねえなあ、と呟いてから寝室までのドアを開け放ち、ついでに掛け布団を足下までめくり上げる。そうしてリビングに戻って両の袖を捲った。事務所の筋肉自慢たちには負けるが、天道だってそれなりに鍛えてはいるのだ。桜庭程度なら余裕である。小声でよっこいしょと呟きながら横抱きで持ち上げるも流石に起きてしまったらしい。「ぅお」と漏れる小さな声相手に「危ないから動くなよ」と注意する。そのままベッドまで運んでやると桜庭は目をまたぱちくりとさせていた。
「……君は僕の彼氏かなにかか?」
「彼氏じゃなくてリーダーだよ」
寝そべったまま寝言のようなことを言う桜庭へ突っ込みを入れつつ、ほら寝ろと掛け布団を頭まで被せる。これにて桜庭の世話は完遂した、とリビングへ戻ったところで天道は気がついた。
流石に今のたとえはおかしいのではないだろうか。
確認するべく天道は踵を返した。真っ暗な寝室でひたすら桜庭の肩をペチペチと叩く。
「彼氏? なあ彼氏ってなんだよ。おい一回起きてくれよ。彼氏? お前、俺のこと彼氏だと思ってるのか? どういう意図のたとえ? 優しいって意味? なあ起きろよ」
と必死に声をかけてみたが、残念なことに桜庭が目は一向に開かなかった。
後日、なんか桜庭に彼氏って言われたんだけど、と翼に相談しようとしてやめた。なぜやめたのか、天道自身もよく分かっていない。
僕は最初から好きだったぞ。