やっかいなニセモノ

 315プロダクションに一番近いコンビニエンスストアの出入り口で、桜庭と天道は出会った。特別不思議な事ではない。これから事務所で行われるミーティングの前に桜庭は買い物を済ませただけだ。そしてこれから天道が買い物をする。ただそれだけのことだった。
「はい。やるよ」
 ビニール袋を提げてコンビニから出てくる桜庭に向かって、天道は赤いバラを差し出した。一輪だけ握られたバラは瑞々しさとは程遠い、一目で造花と分かる安っぽい代物だ。
「……貰ってどうしろと?」
「手品にでも使えるかなって」
 天道が駅前で笑顔の女性に差し出され、思わず受け取ってから数分が経過していた。女性が手に持つ籠には大量の造花が敷き詰められていた。バラを包んだ包装紙には、銀行か何かの広告が印刷されている。
 コンビニの出入り口で二人の男がバラを挟んで制止していた。沈黙を破ったのは桜庭の溜息だった。
「帰りに渡せ」
「なんで帰り?」
「そうしたら持って帰ってやる」
 自分の手に握られたままの造花を不服そうに見つめながら、天道は分かったと小さく返事をする。
 店内へ天道が入っていくのを確認してから、桜庭はビニール袋から一輪のバラを取り出し、苛立ち気にゴミ箱へ放り込んだ。それは十分前に駅前で知らぬ女性から手渡されたものだった。

 桜庭は寝室のチェストの上を見つめていた。
「厄介なものを貰ったな」
 バラの造花がそこに投げ出されて一週間が過ぎた。
 独り言をつぶやきながら桜庭はバラを手に取った。そのまま小さなゴミ箱の前へと歩いていく。
 手入れもいらない、枯れもしない。さして美しくも無い花弁には細やかな埃が付着していた。そのことに気が付いて思わず顔を顰めると、しゃがみこんでゴミ箱の上へかざしてみた。
 数秒迷ったのち、桜庭は小さくため息をついて花弁に唇を近付ける。小さく吐いた息は埃と一緒になり、ゴミ箱へ向かって落ちていった。
 恐らく一か月後もここにあるのだろう。半年後も、三年後も、もしかしたらチェストの上に置かれているのかもしれない。片づけられる日があるとすれば、それは天道がこの寝室へやってくる日だ。
「……そんな日があってたまるか」
 手入れもいらない、枯れもしない。さして美しくも無い癖に、捨てられないし埃がかぶるのも嫌だ。厄介なのは自分自身だと、自覚するのも嫌だった。渡した天道本人は、きっともう覚えていないのだろう。
 いっそ本物なら良かったのに、なんて思いが脳裏を横切ったが、それこそありえないことだろうと頭を振って、桜庭はまたチェストの上に投げ置いたのだった。

アルコールは知能までも気化させる

「トップアイドルになったらさ、結婚しようぜ」
「断る」
 高円寺のマンションで男が二人、特に理由も無く酒を呑み交わしている。出会った当初にはあり得なかった状況だ。暫くして桜庭が天道の家へ上がるようになってからも、二人の胸の内には必ず仕事なり恋愛感情なり、何かしらの理由があった。さらに暫く経って二人が恋仲になってからも、やはり恋人を家に上げる、恋人の家に上がるのには、表面と内面の二つの理由が常に存在していた。そこから更に時間が経ち、二人が出会って2年が過ぎた今、漸く本当に意味も無く一緒に居られるようになった。冷蔵庫の中身で天道が簡単に作ったつまみ、お洒落でもない酒、適当につけた面白くもない深夜番組。色気の欠片も無い空間で天道が放ったプロポーズは、いとも簡単に拒絶された。
「そんなきっぱり断ることねーだろ」
「あのな天道、僕たちは野球選手を夢見る小学生じゃないんだぞ」
 桜庭の言葉に、天道はアルコールで赤くなった顔を傾ける。その仕草から例えが伝わってないことを感じ取った桜庭は、小さく溜息をついて再び口を開いた。
「僕たちにとってトップアイドルは漠然とした夢ではないだろう。時間こそ掛かるが、必ずなるものだ。だからここではいと応えたら、僕は必ず君と結婚することになるだろう」
「すればいいだろ、結婚」
「そもそも出来ないだろう。法律的に」
「分かんないぜ? 俺らがトップアイドルになった頃には出来るようになってるかも知れないだろ」
「君そうとう酔ってるだろ」
 普段通りの涼しい顔で言い放たれた桜庭の言葉に天道は黙り込んだが、「よし!!」という大きな声と供にローテーブルへ勢いよくグラスを置き
「じゃあ結婚の約束は無しでいい。むしろそんな約束は必要ない!」
 と言い放った。
「だってトップアイドルになったらの話だろ? ということはその時の俺はトップアイドルな訳だ」
「そうだな」
「トップアイドルの恋人にプロポーズされて断れる奴なんていない。むしろお前の方から結婚してくれと言ってくるに違いない。なぜならその時の俺はトップアイドルになれるほどカッコいいんだからな!」
「それは良かったな」
 投げやりな相槌を打つ桜庭は明らかに面倒そうな顔をしている。
「まあその頃には引く手数多だろうけどな。何せトップアイドルだし」
 グラスを傾けていた桜庭の手がピタリと止まる。そのままゆっくりと天道を向いた顔には少し怒りが含まれていた。
「あのな天道、君がトップアイドルになれた時はな、僕も隣でトップアイドルに成っているんだぞ」
 そこまで言うと桜庭はグラスをぐっと傾けて中身を一気に飲み干す。そのままグラスをローテーブルに音を立てて置き、また口を開いた。
「その辺の奴なんかに負ける訳が無いだろう。むしろ僕を繋ぎ止めて置かなくてはいけないのも、結婚してくれと頼んでくるのも君の方だ。何せその時の僕はトップアイドルになれるほど完璧なのだからな」
 天道は挑発的に言い返された言葉に一瞬驚いた表情をしたが、すぐにいたずらを仕掛ける子供のような笑顔を浮かべる。
「じゃあ賭けようぜ。トップアイドルになったとき、先にプロポーズするのはどっちかだ。お前が負けたら俺と結婚してもらうからな!」
「君が負けたら?」
「お前と結婚してやるよ」
「賭けになってない」
 桜庭は大きな溜息を吐いてソファに身を沈めた。酔っ払いの相手は楽ではない。桜庭が疲れ果てた事など気にも止めず、天道が横から凭れかかる。
「桜庭」
「なんだ」
「好きだよ」
「……知ってる」
 そうつぶやいて桜庭は天道の肩に頭を預けた。
 BGM代わりのテレビが、本格的に下らない内容へ変化してきた。明日の仕事の為にそろそろ眠りにつくだろう。
 明日になったら忘れるほどではないが、蒸し返して確固たる約束にするほどでも無い。そういやそんな話もしたな、といつか話に上がるだけの理由の無い会話など、出会った当初は誰も考えられなかったことだ。二年の月日をかけて作ったそばにいて当たり前の状況が生み出す無意味な会話が、今日も二人の男の安らかな寝顔を作るのだろう。

泡沫人にあらず

 桜庭が唐突に、桜の木の間をすり抜けるように立ち去っていくのが見えた。特別目で追っていたつもりはない。しかし偶然目についたその姿に何故か俺は不安を覚えた。手に持った缶を置いて追いかける。ひしめくようにそびえ立っている桜の木の間を早足で進んでいく。
 この公園にこんな場所があっただろうか。人気の無さを不思議に思いながら桜庭を探していた。勘だけを頼りに周囲を見回しながら進むとやはり見覚えのない開けた場所に出た。その中央に堂々と座している桜の前に、探し人は立っていた。見惚れているのだろうか。上を向いているのが後ろ姿からもよく分かる。
「何やってんだよ」
 大きめの声で話しかけたが桜庭は振り向こうとしなかった。仕方がないので側へ向かって歩いていく。
「いきなり居なくなるなよ」
 背後まで近づいた。声と足音で分かるだろうに、やはり桜庭は振り向きもしなければ返事もしない。
  それでも不安は消えていた。姿が見えているおかげだろうか。吹き抜けていく風が冷たい。そろそろ帰るべきだろう。ひたすら桜を見上げている後ろ姿の桜庭を俺は抱きしめた。
「桜に攫われたかと思った」
「そんなわけないだろう」
 俺は驚いて反射的に振り返った。後ろから声が聞こえてきたからだ。俺の後ろに居た男は桜ばそっくりだった。いや、顔だけならどう見ても桜庭だった。しかし服装が違う。彼は桜の花びららしき模様をあしらった紺色の着物を着ていた。
「なぜ人など攫わなければいけないんだ。勝手に誘拐犯のように扱うな」
「……すみません」
 明らかに機嫌の悪そうな顔に、俺はとっさに謝ってしまった。
「近頃の男色のやつらはいつもそうだ。流行りなのか知らないが、不愉快だからやめてくれ」
「……はあ」
 俺の適当な相槌を受けながら、桜庭みたいな男はひたすらに愚痴らしきものを言い続ける。やれ死体を埋めるのはうんぬんだとか、こう見えて繊細だから扱いにはかんたらとか、その内容は酔っ払いの俺にはいまいちよく分からなかった。
「あの」
 眉間にシワを寄せたまま喋り続ける男を制止する。
「そもそもどちら様ですか」
「桜の精だ」
「さくらのせい」
 復唱してみたがいまいちピンとこない。せい、は妖精の精だろうか。桜にまつわる妖精的な何か、ということでいいのだろうか。なぜそれが桜庭そっくりなのか分からないが。
 そういえば桜庭本人はどうしたのだろう。一瞬振り返ったが大木の前には誰も居なかった。つまり桜庭が消えて代わりにこの男が現れたことになる。ということはもしやこいつは桜庭なのではないだろうか。理由はさっぱり分からないが、俺を驚かせるためのドッキリかも知れない。服装が変わったことについてはまあ、お得意の手品だろう。
 桜庭が大真面目に桜の精だと名乗ってなりきっている、と思ったらなんだか面白くなってきた。他人行儀ではなくいつもどおりに話したらボロが出るかも知れない。それならギャグかくだらないことがいいだろう。
「じゃあムーンナイトのせいもいるのか?」
「ムーンナイト? ……月のことか? もちろんいるぞ。あいつも君のような輩には怒っていた」
 不発だった。がっかりする俺のことなど気にもとめず、やれ覗き魔じゃなくてそっちが露出狂だとか言っている。仕方がないので俺はよくわからない話にひたすら相槌を続けることにした。
 
 どれだけ経ったか分からない。ひたすらに肯定の相槌をする俺に自称桜の精はひたすらに愚痴を言い続けた。コレが演技だとしたらとんでもない用意周到さだ。アドリブでこんなにもポンポンと桜視点の愚痴を喋り続けるのはどう考えても無理だろう。もしかしたらこいつは本当に桜庭とは別人なのかもしれない。吹き抜ける風が冷たくなってきたせいだろうか。そんな不安が俺の中に湧き上がってきた。まだまだ話し続けようとする男の言葉を俺は遮った。
「お前は桜の精なんだよな?」
「そうだ」
「じゃあ桜庭はどこに行ったんだよ」
「僕が来てすぐ、来た道を引き返していっただろう」
 見ていなかったのか? と男は平然と言った。嘘だ。こいつが出てきた瞬間、桜庭は消えるように居なくなったじゃないか。
 怪しんでいるのが顔に出たのだろう。男は眉間に皺を寄せた。
「何を考えているのか知らないが、僕が攫った訳ではないぞ。始めから言っているとおりにな」
 そう言い張る男の顔はやはり桜庭にしか見えなかった。
「なあ、なんでお前は桜庭にそっくりなんだ?」
「見た目の話か? 僕たちは特定の姿を持たない。見ている者が思う桜の精としての形を映すだけだ」
「じゃあ桜庭の体を乗っ取った、てわけでもないんだな」
「当たり前だろう。そもそも僕はあの男は好かない。気が強くて神経質そうだ。乗っ取る気も攫う気も起きない」
 桜庭の顔で桜庭のことをそう言っているのは見ていてなんだか面白い。そしてなぜかこいつが嘘をついているようには思えなくなってきた。俺がこいつと話している間に桜庭は帰ったのだろう。気がつけば先程から吹いている風は更に冷たさを増し、日は前よりも地面へと近づいている。恋人を放っておいて違う男とこんなに話し込んでいるわけにはいかない。
「悪いけど、俺はそろそろ帰るよ」
「……もう少しいればいい」
「いや、もう大分寒いし」
「……月の精にも合せてやる」
 星の精だっている。あいつは結構いいやつだ。と彼は続けて言った。星の話はぜひ聞いてみたい。そして何より、星の精がどんなふうに見えるのか興味がある。俺は一体、星の精に誰の姿を重ねるのだろうか。揺らぎそうになったが、彼がひどく寂しそうな顔をしていることに気がついてしまった。思わず一歩近づいて頭を撫でる。
「なんでそんな顔してるんだよ」
「夜は嫌いなんだ」
 素直に撫でられたままこいつは目を閉じた。
「夜は暗くて寒い」
「うん」
「それに太陽も眠ってしまう」
 まぶたがゆっくりと持ち上がった。その下から現れた水色と目が合う。男はまっすぐに俺を見据えてから、桜庭らしからぬ柔らかな表情を見せた。
「君は太陽の精に似ているな。もちろん姿カタチの話じゃない。在り方や存在のことだ」
 そう言って俺の手を握った。頭を撫でているのとは反対の手だ。
「お前は太陽が好きなのか」
「ああ。でもあいつは忙しいんだ。太陽を必要としている者はごまんといる」
 夕日はもう半分以上も沈んでいた。あんなにはっきりと見えていた桜の木も、空に近い先端部分は大分見辛くなってきている。夜桜で有名な公園のはずなのに、ライトはまだ点かないのだろうか。
「俺で良ければまた来てやるよ。それにお前だって人気者だろ? 桜目当てに皆集まってくるだろ。夜桜だって綺麗だし」
「それは今だけだ。花が散ったら誰も僕のことなんか気にしない」
 そんなことない、とは言えなかった。俺だってこの公園にはジョギングで何度か来たことあるが、春以外は桜の木など気にも止めたことがない。
「どうしても帰らなくてはいけないのか?」
「当たり前だろ。皆がいるし」
「皆って誰だ?」
「誰だ? って言われても」
 夕日は完全に沈んでしまった。明かりはまだ点かない。周囲の景色がよく見えない中で、目の前にある桜庭の顔だけがよく見えた。
「だって君は僕のことが好きだろう」
「……それは」
「だったら帰らないほうがいいんじゃないか?」
 握られている手にギュッと力を入れられる。確かに俺は桜庭が好きだ。
「だって君が戻ったところで、待っているのはいつもどおりの日常だろう」
 こいつの言うことは多分間違っていない。帰ったところで桜庭は心から俺を必要としてくれるわけじゃない。いつもどおり俺にだけキツく当たっていつもどおり仕事仲間として接してくるだけだ。
「僕と一緒に来てほしい。一緒に居てほしいんだ」
 いろんな人たちの顔を必死で思い浮かべようとしているのに全く出てこない。目を瞑っても、真っ直ぐにそう言い放った桜庭の顔が脳裏に焼き付いてしまっている。この桜庭となら一緒に居てとても幸せかもしれない。そもそも帰ったところで桜庭はそこに居るのだろうか。だって桜庭は今ここに居るじゃないか。
「……俺は」
 と言いかけたところで空が白み始める。地平線から太陽が顔を出したわけじゃない。もっとずっと上の方から少しずつ光が差し込んできている。
「時間切れか」
 桜庭は悲しそうな声でそういった。
「彼の器にぴったりだと思ったんだが」
 逆光で顔はよく見えなかった。でもなぜか、恐ろしく吊り上がった口角だけははっきりと見えてしまった。
「おい天道! いい加減にしろ!」
 眼の前には完全に怒っている桜庭の顔があった。その後ろにはたくさんの桜の花がある。さらに後ろには綺麗なオレンジ色の空があった。桜庭の髪が俺に向かってくるように変な方向へ垂れ下がっているのを見て、自分が寝そべっていることに気がついた。
「置いて行かれたくなければ今すぐ起きろ、この酔っぱらい」
 言われるがままに身を起こす。見回すと315プロダクションの仲間たちが片付けをしていた。桜の木の下に敷いていたシートの上にある重箱やら紙皿、缶やプラコップなどをまとめているようだ。
 今日は事務所が計画してくれた花見に参加していた、という事実を俺は今やっと思い出した。それだけじゃない。この公園にあんなに大きな桜の木は無いこと。ライトアップは日が沈む少し前から始まること。そしてなにより俺と桜庭は付き合ってもないから後ろから抱きしめたりしないこと。この矛盾の数々と先程までの自分の体勢を鑑みた結果、俺はやっと現状を把握することが出来た。
「めっちゃ怖い夢見た!」
「知るか、そんなものは」
 思わず叫ぶと周囲から笑い声が聞こえる。起こす役こそ桜庭に任せていたものの、俺を気にしてくれている人たちはちゃんといるのだ。それに対して桜庭の返事のなんと冷たいことか。
「お前はさ、もうちょっと俺に優しく出来ないのかよ」
「こうして起こしてやっているだろう。ありがたく思ってほしいくらいだが」
 俺の言う不満など気にも止めないらしい。
 桜庭はシートの上にある黒い物を掴んで「ほら」と渡してきた。俺が着てきたジャケットだった。
「なあ桜庭、急に俺が居なくなったらどうする?」
 ジャケットを羽織りながら試しに桜庭に聞いてみた。桜庭は一瞬顔を顰めたが、すぐに何かを考えるような表情になった。
「メンバーの失踪は活動に大きなダメージを与えるだろうな」
「ああ」
「だから地の果てまで追いかけてやる」
 怖い顔でそう言って、桜庭は向こうのシートへ行ってしまった。そっち側ではまだ翼が片付けをしている。
「……だってさ。聞いてたか?」
 俺は背後の桜の木を振り返って言った。もちろん木は返事などしなかった。

見えない人まで救ってしまうのがヒーローの条件

 昔、桜庭に「好きだ」と言った男性が居た。当時の桜庭はその事実にただ驚くばかりだったが、今となってはその勇気を称えるばかりである。

 体調を崩される方がよっぽどの損害です。電気代など気にしないので、冷房も暖房もきちんとつけてください。とは、この315プロダクションに務めるプロデューサーの言葉である。社長も同意しているようで、この事務所はいつだって心地よい温度に保たれている。それは今日も例外ではない。そんな部屋のソファで天道輝は楽しげにパンフレットを眺めていた。その向かいで桜庭は企画書を持ったまま暗い顔をしている。
 おそらく天道は知らないのだろう、と桜庭は思った。たとえ悲しんでいる人が居たところで、その存在を知らなくては助けるために動くことは出来ない。悲しんでいる人を放っておくような人間では無いことを、桜庭はよく知っていた。自分を助けてほしいなどとは口が裂けても言えない。だからせめて彼らだけでも助けたいと桜庭は願っていたが、手段も方法も今日まで思いつかなかった。
 柏木翼は今、自分のことで手一杯である。ただでさえ忙しいプロデューサーに相談することも避けたい。彼はアイドルの願いを全力で叶えようと努力してしまう。だから今、桜庭が相談できるのは天道以外に居なかった。たとえそれが認識していない可愛そうな彼らの存在を突きつけるどころか、可愛そうな桜庭自身の存在に気づかれてしまう可能性に一ミリにでも近づかれることになるとしても、桜庭は他の選択肢を見つけることが出来なかった。
「君は男性から告白されたことはあるか?」
 唐突に話しかけられた天道はきょとんとした。
「いや、無いけど」
 その返事に桜庭はやはりな、と思った。
「僕はある」
「あっそう。……え? 何の話?」
 天道は明らかに戸惑っていた。無理もないだろう。彼は桜庭が仕事の話をしているなど微塵も気づいていなかった。
「僕は彼が今どこで何をしているかすら知らない」
「うん」
「でももし彼が、仮にだぞ? 仮に未だ僕のことを思ってくれているとしても」
 桜庭はここで一度言葉に詰まった。天道はまだ桜庭が話したい内容を理解していない。ここで「やはり何でも無い。忘れてくれ」といえば自分の葛藤だけで済むことを桜庭は分かっている。それでも桜庭は天道に話したかった。一生言えないであろう自分の苦しみも、彼の、彼らの苦しみに混ぜ込んでしまう。そうすれば混ぜ込んだ少しの分だけでも天道に受け止めてもらえる気がしたからだ。たとえそうじゃなくても、せめて彼らだけでも救われて欲しい。天道なら救ってくれるのではないかと期待しているのだ。
「いや、彼だけじゃない。多分僕が知らないだけだ。彼らは、この企画に応募することすら出来なかった」
 そこまで聞いてやっと天道は話の意味を理解することが出来た。
 JupiterとDRAMATIC STARSにきたナイトウエディングのCMの仕事。花嫁役の応募資格は「プロアマ問わず満十六才以上の女性」だった。
「つまりあれだろ? まるで誰にでも結婚相手役が出来るチャンスのある夢のような企画に見えるけど」
「その夢すら見られない人もいる」
 そう言って桜庭はため息を付いた。
 桜庭は彼らになにかしてやりたいのだろうと天道は思った。勘違いされやすいが、根は優しいやつであることを知っていたからだ。その助けになろうと天道は思考を巡らせた。そして桜庭がわざわざ相談してきた理由を悟った。想像以上に難易度が高いのだ。簡単に思いつくアイディアには全て出来ない理由も一緒に思いついてしまう。
「でもさあ、今回は結婚式のCMだぜ? お前も企画書読んでるから分かるだろ。あくまで主役は花嫁だ」
「それは分かってる」
 これは企業からオファーが来たCMの仕事だ。企画書を読めば分かるように、このCMのターゲットは「花嫁になる人、なりたい人」である。桜庭の言う「彼ら」はそもそも今回の仕事では客とみなされていない。その状況で彼らに配慮やアピールをすることの難しさは二人ともよく理解していた。
「……いや、やっぱり今回の仕事の中でなにかするのは無理だろ。やれるとしたら、今後別の自由度の高いところで配慮するしかない」
「やはり君でもそう思うのか」
「自由にできるってところでは事務所のブログになにか載せるのも考えたけどさ、これも今回は難しい。競合するような内容はもってのほかだし、先に衣装を出しちまうようなのはまずい」
「そうだな」
 そう言って桜庭は力なくソファに沈みこんだ。そしてその姿は天道の目にとても悲しく映った。
 桜庭がしようとしていることは決して間違っているわけではない。その力になってやれないことが天道は純粋に悔しかった。
「こめんな、いい案が浮かばなくて」
「いや、君は悪くない。僕が我儘を言っているだけだ」
「我儘とは言わないだろ。今回の場合は」
「いや、我儘ってことでいい」
 彼らを救うことへ天道輝を加担させようとした時点でこれは全て己の我儘であると桜庭は思っている。そしてそれが天道へ伝わるはずもなかった。だからこそ話が終わった後も、桜庭がファンにしてあげたいこととして天道の意識の片隅に残り続けた。そして撮影の三日前、ひらめきと共に具体案としての形を得て、「当日は白っぽい服着てこいよ!」という言葉にまで進化したのだった。

 均一に染められた茶色の長髪がウェーブを描いて背中を覆い、更にその上からは透ける白いベールが掛かっている。身長は平均より少し低い。桜庭のパートナーに選ばれた人は女性らしさに溢れる人だった。最終のみではあるが、桜庭自身も選考に加わった以上、人選にはなんの不満も抱いてはいない。そもそも今回の撮影で自分の我儘を押し通すことは微塵も考えていなかった。相手役にも花嫁としての演技以外は何一つ望んでいない。ただ隣りにいた天道だけが、意外と言わんばかりの顔をしていた。その天道はといえば、出会い頭に桜庭が着ている白いサマーニットを見て「よし」とうなずいたきり、仕事以外のことは言いもしなければやりもしなかった。
 そうしているうちに天道が撮影を終え、桜庭も撮影を終えた。今回一番の不安要素であった柏木の撮影も、本人の努力のおかげでなんの問題も無かった。
 そしてJupiterの撮影が始まった頃、やっと天道が動き出した。
「早く着替えてこいよ」
 と桜庭に耳打ちしたのである。桜庭は驚きつつも反論した。
「Jupiterの撮影も見たいのだが」
「タキシード姿は載せられない」
 そうだろ? と言いながら、天道は桜庭の体を反転させた。そのまま背中を押してくるので桜庭はしぶしぶその場を後にした。残った天道はあたりを見回して、一人のスタッフへ近づいていった。
 
 桜庭が着替えて戻ってきたときにはすでに天ヶ瀬の撮影は終了していた。隅の方で女性スタッフと話している天道の姿が桜庭の目に入る。天道に言われたとおりに着替えたものの、これからどうすればいいのか分からなかった桜庭は撮影を見ることを選んだ。
 その間も天道はスタッフと談笑しながらも撮影の進行を気にしていた。伊集院の番が始まった頃、もうひとり別のスタッフが近づいてくる。
「天道さん。これでいいですか?」
「ありがとうございます。ちょっと使ったらすぐ返すので」
 スタッフの差し出したものを見て天道は嬉しそうな顔をした。壊れ物を扱うような手付きでその二つをそっと受け取る。見られていないか確認するために桜庭へ視線を向けたが、彼は真剣な表情で撮影中の伊集院を見ていた。
「天道さんも早めに着替えてくださいね?」
「ホントにすみません。すぐ終わらせるんで」
 今から着替えに向かったら間に合わない。別にスタッフも怒って言ったわけではなく、また天道もそれを理解していた。笑いながら謝りつつも天道は撮影が終わるタイミングを待っていた。
 伊集院やカメラマンたちが祭壇の前から動いた瞬間、天道が桜庭の元へ急いで近寄っていく。今回天道がひらめいたアイディアを実行するにあたって、内容を桜庭に内緒にしておく必要性はあまり無い。実際、思いついたときはすぐ桜庭へ伝えようと思った。ただちょっと考えた結果、桜庭が拒否する可能性があると思ったのだ。だったらいっそ内容は伝えず、時間がないことを逆手に取って焦らせ、勢いに任せて実行してしまおうという魂胆である。
「桜庭!」
 駆け寄った天道は右手に持っていたそれを桜庭の頭へ被せる。突然のことに驚いている桜庭の手を掴んで引っ張った。
「ほら行くぞ!」
 何が起きているのか分かっていない桜庭を、天道は急ぎ足で祭壇の前まで連れてきた。
「これ持って」
 そういって左手に持っているブーケを差し出しながら掴んでいた右手を離し、ポケットからスマートフォンを取り出す。
 白く霞んでいる視界から、桜庭は差し出されたピンク色のブーケを見た。頭に被せられたベールを掴んで外す。見間違えるはずがない。ブーケもベールも間違いなく天道の相手役の女優のために用意されたものだった。
「タキシード姿は載せられない」
 ベールを手に俯いている桜庭に向かって天道が言った。桜庭は何も答えない。
「相手にプロポーズや誓いの言葉を述べているような写真も難しいだろ。CMで見せるためのものを事務所のブログへ上げる訳にはいかない」
 だから僕は諦めた、と桜庭は口に出して言いたかった。天道が白い服を着てこいと言ったときだって、どうせ大した事はできないだろうと内心で勝手に諦めていた。
「彼らは花嫁役に応募することすら出来なかったし、彼らを花嫁役にはしてやれない。だけど、花婿にならしてやれるだろ?」
「……ダメだ」
 花嫁役に応募できなかったのは何も彼らだけではなかった。桜庭も同じだ。にもかかわらず同じユニットのメンバーだから、同じ仕事をしているから、という理由でここに立っていいわけがない。ましてや彼女が勝ち取ったものを身に着けて天道の隣に立つ資格など、本気で自分には存在しない。桜庭は天道に向かって叫んでやりたかった。
「でも他に思いつかなかったんだよ。お前が嫌がるだろうとは思ったけど」
 骨を切らせて肉を断つつもりでさあ、と続ける天道の言葉を、桜庭は「ちがう」と遮った。
「これは彼女が勝ち取った……物だ。僕が使っていい物じゃない」
 勝ち取った場所、と言いそうになったのを桜庭はぐっとこらえて言い換えた。
「それなら大丈夫だ。ちゃんと許可は取ってある」
 ほら、と言いながら桜庭の斜め後ろへ視線を送る天道につられて、桜庭も振り返る。天道の相手役の女性とスタイリスト、そしてなぜか桜庭の相手役を努めた女性も一緒に隅の方で並んで立っていた。動き回っている人が多い中、彼女たちはにこにこしながら天道と桜庭の二人を見ていた。
「ちょっと写真撮るだけだから」
 天道は改めてブーケを差し出した。天道の胸にあるのと同じピンクのアネモネをメインに誂えた可愛らしいそれを、桜庭はそっと受け取った。撮影を無事に終えたばかりの式場は、ほっとしてにこやかに会話する者や、撤収作業に勤しむ者たちの音が蔓延している。もちろんその空気は天道と桜庭にも届いていた。それでも天道はいつもどおりの軽やかな表情のまま、空いた手でベールを取り、再度桜庭の頭にそっと被せた。
 白い帳が視界を覆うと共に桜庭も俯いて目を閉じた。これは仕事だ、と自分に言い聞かせる。これはアイドルの桜庭薫がファンのためにする活動であり、ユニットメンバーがその手伝いをしてくれている。小さな深呼吸と共に桜庭はその事実を受け止めた。受け止めた上で、天道に心から礼を言いたかった。
 桜庭がまぶたを開いたことを確認した天道はスマートフォンを構えた。桜庭にピントを合わせるべく、小さな画面に映し出された顔に一瞬だけ触れる。
「撮るぞ」
「ああ」
 天道が画面のボタンを押すと同時に最小まで絞られたシャッター音が鳴る。撮れた写真を見た天道は首を傾げて悩んだ。そして「もう一回」と言って再度桜庭へスマートフォンを向けた。今度は自分の顔の前ではなく、少し上へ持ち上げている。それにつられて桜庭も上も向いた。
「顎上げるなよ」
 画面越しに見ている天道に指摘され桜庭はつい大げさに顔を伏せた。
「あっ。……いや、それでいいや。伏せ目のまんまで」
 天道はまたシャッターボタンを押した。左下をタップして写真を確認する。少し上の角度から、ベール越しに伏せ目の桜庭が映っている。
 写真を見た天道はそのきれいな伏せ目と白いベールの間にある黒いフレームに目が行った。そういえばメガネの花嫁は見たことがないと天道は思った。特別感を出すなら外してもらったほうがいいかもしれない。しかし桜庭らしさを重視するなら掛けたままのほうがいいだろう。
 もしも自分が桜庭のことを好きだったら、と天道は必死に考える。そしてその姿を桜庭は正面から見つめていた。
 桜庭はふと、昔にテレビの前で正座してみたヒーローの姿を思い浮かべた。テレビの前の子供の事情など、彼は知る由もない。それでも彼は間違いなく当時の桜庭を救ってくれる人だった。
「よし、これでいく!」
 悩んでいた天道はまるで自分に言い聞かせるように力強くうなずいた。天道が何を悩んでいたのか。それは勿論桜庭が知る由もない。撮影裏のヒーローの悩みなど、子供が知らないのと同じように。
 祭壇前から撤収してすぐ、天道はスマホを手にしたままプロデューサーのもとへ駆けて行った。ブログへ載せる許可を得るためだ。その背中に向かって桜庭は小さく「ありがとう」と呟いた。

終わりよければ全てよし?

 やたらと重たい紙袋を床へ置いた。三階のボタンを押し、左手に持っていたスーパーの袋も足元へ置く。過ごしやすい季節になったな、と天道は思った。時刻はもう少しで九時を迎えようとしている。家庭用ゲーム機が入った紙袋と、昼食用の食材と間食用のお菓子をぶら下げて駅から歩いて来たにもかかわらず汗一つかいていない。
 思いのほか早く到着したエレベーターに慌てて荷物を持ち直して乗り込んだ。このマンションの三階にある305号室を桜庭は借りている。なぜ天道がゲーム機を持って桜庭の家へ向かっているかといえば、柏木の企みとプロデューサーの協力によるものである。ことの発端は約一週間前の会話だった。

「なんでさあ、俺と桜庭っていつも喧嘩ばっかりなんだろうな」
 天道と柏木はいつものファミレスで向かい合っって座っていた。天道が頼んだ生姜焼き定食と柏木が頼んだナポリタンがテーブルの上に置かれている。柏木はフォークにたくさん巻きつけたナポリタンを口に運びながら首を傾げた。
「桜庭も翼とは殆ど喧嘩しないだろ? なんかコツとかないのか?」
「そもそも輝さんは喧嘩したくないんですか?」
「当たり前だろ」
 天道も生姜焼き定食に箸をつけた。桜庭と喧嘩をした日にこのファミレスへ来る場合は、いつもこれを頼んでいた。豚肉を一度ご飯の上に乗せてから食べると自然と頬がゆるんだ。実家の母が作るものと味が似ているせいだろうか。
「嫌味はちょこちょこ言ってくるけど、喧嘩してないときは基本的に……」
「基本的に?」
「……いいやつだよ、桜庭は」
 かわいいんだよ、と口から滑り落ちそうになったことに天道は焦った。代わりに出てきた言葉は随分と陳腐だったが、翼は特に気に留めていないようだ。黙々とナポリタンを食べている。
「なあ、俺の話聞いてるか?」
「ちゃんと聞いてますし、ちゃんと考えてますよ。食べながらですけど」
「明太子チーズピザです」
 この店でよく見かける店員は当たり前のように翼の前へピザを置いていった。たくさんテレビに出られるようになったころから奥の席に通されることが増えたんだよな、と天道は思い出す。
「店員もさあ、ああまたあいつら喧嘩したんだな、って思ってんだよ絶対。顔には出してこないけどさ」
「被害妄想ですよ。ここの店員さんたちはそこまでオレたちのこと気にしてないと思うんですよね」
「何かいい案ないか? 翼だってこんなにメンバーが喧嘩してばかりじゃ嫌だろ?」
「うーん……。一つだけありますよ。いい案が」
「さすが翼だな! で、どんな案なんだ?」
「教えません」
「はあ?」
「後日プロデューサーを通して伝えますね」
 半分以上平らげたナポリタンの皿を少し横へ避けた翼は明太子チーズピザへ手を伸ばした。チーズの伸びっぷりにおお、と感嘆の声を洩らしている。
「なんでだよ。今じゃダメなのか?」
「オレが言っても薫さんは聞いてくれないと思いますし、多分輝さんも納得しないですよ」
「オムサイスセットです」
 店員は当たり前のように翼の前へオムライスセットを置いた。食べ終わったピザの皿を店員に渡しながら、翼が
「再来週の月曜日は丸一日開けといてくださいね」
 と言った。

 それから十日後。仕事が終わった天道は事務所のソファに座っていた。プロデューサーに呼び出されたからである。呼び出した本人はパーテーションの向こう側で電話をしている。呼び出された理由は先日の話だろうと予想はしているが、言われる内容に検討がつかない。わざわざオフの日を指定して空けておけと言われた以上、明日なにかをやらされるだろうというざっくりした予想しか立てられなかった。
「おまたせしました」
 いつもどおりの人当たりがいい笑顔でプロデューサーがやってくる。右手には何やら紙袋を持っていた。向かいのソファに座りながらローテーブルへ置く。天道の位置からは中身は見えなかった。
「柏木さんから言われてると思いますが、明日は空いてますね?」
「うん。ちゃんと空けてあるぜ」
「では明日ですが」
 と言いながらプロデューサーは紙袋を天道の方へ押した。中を除くと、黒くて大きなものが見える。
「桜庭さんと二人でそのゲームをクリアしてください」
「はあ? ゲーム?」
「はい。これは業務命令とさせていただきます。遊ぶ場所は桜庭さんの家でお願いします。彼にもそう伝えてありますので」
 信じられない、という顔をしながら天道は紙袋の口を大きく開けて覗き込んだ。ちらりと見えた黒いものはゲーム機だ。テレビやモニターにつないで遊ぶ家庭用ハードである。コントローラーも丁寧に二つ用意されている。その横に別のものが差し込んであることに気が付き手にとった。鮮やかなパッケージのゲームソフトだ。
「うわー、なつかしいなこれ」
 パッケージには天道もよく知っているキャラクターが描かれていた。天道が子供のころからある横スクロールアクションゲームだ。昔から長く続いているシリーズで、天道自身も小学生の頃に遊んだ記憶がある。紙袋に入っていたのはそのシリーズの最新作だ。
「このゲームって一人用だろ? 俺たちのどっちかがクリアすればいいのか?」
「いえ、協力プレイモードで遊んでください」
「今はそんなのがあるのか」
 天道は手に持ったままのパッケージをひっくり返す。裏面には最大四人で協力プレイと書かれていた。その下の画像にはよく知るキャラクターの色違いが載っている。
「四人まで遊べるんだから翼とプロデューサーもこればいいのに」
「二人で、の部分も業務命令に含んでます。柏木さんも呼んじゃダメですよ。まあ、誘ったところで行かないはずですが」
「だろうな。まあこのゲームなら余裕だろ」
「柏木さんも妹さんとクリアしたそうですから、お二人なら大丈夫だと思います」
「あ、じゃあこれ翼ん家のか。ならなおさら明日中にクリアして返さないといけないな」
「あと攻略法を調べるのも禁止です」
 了解、と返事をしながらゲームソフトを紙袋へしまう。そして天道は最初から抱いていた一番の疑問を尋ねてみた。
「これのどこが喧嘩しなくなるためのいい案なんだ?」
「それは明後日以降に柏木さんから直接聞いてください。あとクリアした証拠にエンドロールの写真を撮ってくださいね」
 プロデューサーも教えてくれないのかよ、と思いながら天道は紙袋を持ち上げた。

 そしてその紙袋とスーパーの袋を持ったまま天道はインターホンを押した。家主からのリアクションを待っている間、ふと自分一人で来るのは初めてなことに気がついた。訪ねること自体は初めてではないが、いつも翼も一緒だった。とたんに自分の体に緊張が走る感覚に襲われる。ゲームするだけだ、しかも業務命令だ、と天道は自分に言い聞かせる。
 天道がそんな考え事をしている隙に玄関が開いた。思わず肩がビクリと上がりかけたが、一瞬の間の後にすぐ朝の挨拶をした。
「おはよう」
「おはよう。上がってくれ」
 天道の両手がふさがっていることに気がついた桜庭は大きくドアを開けてくれた。玄関で靴を脱ぐ。玄関も廊下も前に来たときと変わっていない。変わっているのは自分の横に翼の靴が無いことだけだ、と天道は再度自分に言い聞かせた。
 桜庭の後ろを歩いて廊下を抜け、リビングへ足を踏み入れる。テレビの前にあるソファへ向かうと、その間にあるローテーブルには天道が持ってきたものと同じゲームハードが置かれていた。
「コーヒーでいいか?」
「おう。あと昼飯用の食材とお菓子買ってきた」
 スーパーの袋を片方だけ桜庭へ渡す。桜庭はそれの中身をちょっと覗いてからキッチンへ向かっていった。
 天道はソファへ座って、もう一つの袋からいくつかお菓子を取り出してローテーブルへ置いていく。視界に入るゲームハードが気になった。桜庭の家にあることを知らなかったからだ。桜庭が自宅で遊んでいるイメージは今まで一切無かった。桜庭とゲーム、というテーマで記憶をたどる。真っ先に出てきたのはソーシャルゲームの実写映画の出演だった。あのときの桜庭は尋常ではないレベルでプレイをしていた。いくら仕事だからとはいえ同じ時期に始めたはずの自分とこうも差が開くものだろうかと当時は不思議に思っていた。さらに思い出したのは315プロダクションが新人発掘オーディションを開催した後のことだ。候補の一人が、昔のアーケードゲームができるように事務所のテレビを改造したことがあった。大吾が発見し何人かでテレビの前で騒いでいるところに珍しく混ざりに行っていた記憶がある。
 話題に出さないだけでもしかしたら桜庭はゲームが好きなのかもしれない。しかし今回のためにわざわざハードを購入した可能性もゼロではない。天道は机の上のゲーム機を再度しっかり見た。本体は傷も無く綺麗に見えるが、コントローラーの片方はボタンの印字が若干すり減っていた。数日でこうなるとは考えにくい。
「まだつけてなかったのか」
 いつの間にかこちらに戻ってきた桜庭が真っ暗なテレビを見て言う。そのままマグカップをローテーブルに置こうとしたが、大量のお菓子を見て眉をひそめた。
「そのポテチを食べながらプレイする気なら今すぐ追い出すぞ」
「ポテチは休憩用だよ」
 慌てて反論しながらスーパーの袋からウエットティッシュを取り出し、これ見よがしに机へ置いた。ボタンの印字がすり減っているコントローラーは一つだけで、もう片方は新品同様だった。
「ポッキーとかマシュマロとか煎餅とか、汚れないのもちゃんと買ってきてあるだろ」
「遊びに来たわけではないだろう。はやくソフトを出せ」
 ゲームは遊びだろ、と言い返しながら紙袋を漁る。運んでくる間に紙袋の底へ落ちてしまったらしい。
「その大きな紙袋はなんだ?」
「翼が本体ごと貸してくれたんだよ。いらなかったみたいだけどな」
「そうだったのか。弟妹も使うだろうに、申し訳ないことをしたな」
「平日なんだし今日中に終わらせれば大丈夫だろ」
「なおさらもたもたしている暇はないな」
 引っ張り出したソフトを桜庭に手渡す。桜庭はパッケージを少し眺めてからハードへ入れた。天道が探している間に電源をつけていたらしい。慣れた手付きでさっさとホーム画面からゲームを起動した。
 ゲームのオープニング映像が流れ出す。桜庭はそれをじっと見ていた。そういうところはちゃんと見るんだな、と天道は思いつつも口に出さず黙っていた。オープニング映像が終わったところで桜庭がコントローラーを操作した。テレビ画面で協力プレイモードを選択したことが分かる。さらに人数を二人に選択したところで早速最初のステージにキャラクターが二人立っていた。天道がコントローラーのスティックを動かすと画面の青いキャラクターが走り出した。その隣では赤いキャラクターが走ったり飛び跳ねたりしている。天道は桜庭にコントローラーを差し出した。
「はい」
「なんだ?」
「逆だろ、色が」
「別にどっちでもいいだろう」
 文句を言いながらも桜庭はコントローラーを交換した。少し進むと画面の中央にテキストウィンドウが出てくる。どうやら最初のステージは操作説明を兼ねたチュートリアルになっているみたいだ。
「桜庭はこのシリーズやったことあるのか?」
「古いものなら小学生のころに遊んだことがある」
「俺も小四くらいころにハマったんだよな。でも最後までクリアした記憶は無いんだよ」
「僕は全面クリアしたがな」
「まじで?」
 などと雑談をしているうちにもう最後までたどり着いたらしい。テキストウィンドウには「マップの最後にはボスが待ち構えているぞ! がんばってを倒してみよう!」と表示されている。 ボスマップへ突入すると道中の敵とは違いちょっとした演出を伴ってボスが登場した。飛んでくる攻撃を避けながら二人で攻撃しているとボスはあっさりと倒れてしまった。
「なんだよ、こんなすぐ勝てんの?」
「これはチュートリアルみたいなものだぞ? とはいえ子供向けのゲームだ。大した難易度でもないだろう」
「おっしゃ、サクッとクリアして翼に返すぜ!」
 こうして序盤は和やかな雰囲気でゲームが始まった。天道は呑気にマシュマロとポッキーどっちを開けようかななどと考えていた。

 天道がローテーブルへコントローラーを投げ出した。ガシャンと大きな音がする。桜庭も無言だった。険悪な空気が流れていた。
 ワールド3まではサクサクと進めていた。道中は敵の配置もまばらで落下にさえ気をつければボスまでたどり着けたし、そのボスもそこまで複雑な攻撃はしてこないうえに体力もあまり多くなかった。そのおかげでお互いの欠点は見えてはいたが問題視するほどではなかったのだ。しかしワールド4-1から急に難易度が上がり、4-3でついに詰まってしまった。
「なんで君は考えなしに突っ込んでいくんだ」
「お前こそロクに攻撃しないでまわりをうろちょろしてるだけじゃねえか」
「敵の行動パターンを読んで戦略を考えるのはゲームの基本だろう。君が変な動きばかりする上にすぐ倒されるせいでそれもまともにできないがな」
「そもそもこのゲームの基本はトライアルアンドエラーだろ! なのにお前が道中うろうろしまくるせいで全然回数重ねられないけどな!」
「なにがトライアルアンドエラーだ。毎回同じ攻撃で倒されてるくせに」
「最初のころはさっくり倒せてただろ! 今のボスはちょっと苦戦してるだけだ」
「大体君は道中もミスが多すぎる。そのせいで残機が減ってボス戦で苦労するんだ」
 そう冷たく言い放つと桜庭もコントローラーを置いてしまった。最初のころはおいしく食べていた机の上のお菓子たちも途中から手を付ける余裕が無くなってしまった。桜庭が入れたコーヒーもすっかり冷めてしまっている。明るい日差しが差し込む窓の上にかけられた時計は一時七分を指していた。
「やめだ、やめ!」
 天道はソファから勢いよく立ち上がった。案の定下から桜庭が睨みつけてくる。
「勝手にしろ。君がやらないなら僕が一人でクリア……」
「昼飯作るんだよ! そっちのやめじゃねえっつーの」
 勝手に進めるなよ、と桜庭に念を押して天道はキッチンへと向かった。桜庭は何も言わなかったが、背中に視線だけは感じていた。それを無視してシンクの前に立ち、まず手を洗った。食材を出すために冷蔵庫を開ける。
「なんだよ、いっぱいあるじゃん」
 天道の予想以上の食材が入っていた。これならわざわざ買ってこなくてもよかっただろう。しかしメニューを決めていたので自分が買ってきたものだけを取り出した。
 調理を始める前にちらりと桜庭を盗み見る。ソファに座ったままコントローラーを操作していた。進めるなって言っただろ、と天道は思ったが無視することにした。パスタを茹でながら無心でズッキーニを切る。今日のメニューはズッキーニ、ベーコン、舞茸を入れたペペロンチーノだ。あとエビとアボカドのミニサラダとジャガイモ多めのコンソメスープだ。我ながらちょっとカッコつけすぎた感が否めない。おいしく食べてくれればいいなと買い物しながら考えたメニューだが、今となっては食事の感想どころか会話すらまともにできない状況である。これのどこが喧嘩をしなくなるためのいい案なのか、天道にはさっぱり分からなかった。

 ダイニングテーブルへパスタを二人分置いた。それに気が付いた桜庭がこちらへ寄ってくる。何も言わずキッチンへ戻ると、桜庭も何も言わずついてきた。スープを二人分もってダイニングテーブルへ向かう。キッチンを見ると桜庭が引き出しからカトラリーを出していた。そのままサラダを持ち上げたのが見えたので天道はキッチンへ戻らず椅子に座った。桜庭もそれぞれの前にカトラリーとサラダを置いて座る。
「いただきます」
「いただきます」
 それ以外は何も言わず二人して黙々と食べ始めた。むしろそういうところはちゃんと言うやつなんだよなあ桜庭は、と天道は思った。しかし雰囲気は悪いままであり、そのせいで無言の食卓に鳴り響くゲームのBGMがどうにも天道の癇に障った。無言で立ち上がりローテーブルの上にあるリモコンでテレビ画面へと変えた。生放送の情報番組が流れ出す。月曜日の今日はちょうど翼がレギュラーとして出演している。桜庭はちらりと視線こそよこしたが、やはり何も言わなかった。
 すでに皿の上には半分も残っていない。我ながら美味しくできたが、それだけで和解できるほどお互い柔軟では無いことを天道は分かっていた。それでも桜庭の表情はだいぶ和らいでいる。話しかけるならここだろうと思った天道は口を開いた。
「ゲームなんだけどさ、どうする?」
「どうするって、なにがだ」
「いや、このまま闇雲にやってもだめかなって」
「……そうだな」
「とりあえず桜庭は道中の探索減らしてくれないか? 結構あれで時間とってるし」
「探索を辞めたらスターバッジが回収できない」
 桜庭の言葉があまりにも予想外で天道は思わず面食らってしまった。スターバッジとは各マップに三つずつ隠されている特別なアイテムのことで、別に取ったところでゲームが有利になるわけでもない。ただステージ選択の画面に見つけたか否かが表示されるだけの、言わばやりこみ要素の一つである。
「お前あれ全部取る気だったのかよ!」
「あたりまえだろう。全部そろえなければクリアとは言わない」
「そんなわけないだろ! 最後のステージでラスボス倒したらクリアだよ!」
「これはプロデューサーからの業務命令だぞ? そんな簡単な条件だとは思えない」
 そんな簡単な条件すらクリアできる気配もない状況でよくそんなことが言えるな、と天道は呆れそうになった。しかしさすがの完璧主義っぷりだ。なんとかして納得させなければならない。桜庭はほぼ間違いなく知らないはずだが、そもそも今回の本当の趣旨はゲームをクリアすることではなく俺たちが喧嘩をしなくなることだ。その手段としてゲームを用いているにすぎない。となれば多少の嘘は許されるはずだ。
「いや、ゲームを受け取るときにラスボス倒すまでって言ってたぞ、プロデューサーは」
「そうなのか?」
 桜庭は訝し気な顔をしている。おそらくプロデューサーからはクリアしろとしかいわれていないのだろう。天道も同じである。しかし実際にプロデューサーと翼が想定している「クリア」はラスボス撃破に違いない。
「あくまでも目的は全ステージのクリアだ。スターバッジはまあ、その後で時間があったら探そうぜ」
「……分かった。道中は早さ優先で進むようにしよう」
 若干不満そうな顔はしているが、なんとか納得してくれたようだ。天道はそっと胸をなでおろした。今のペースで今後も進めていたら今日中のクリアはおそらく不可能だろう。
「そのかわり君はボス相手にゴリ押ししようとするのをやめろ」
「別にゴリ押しはしてないだろ」
「しているだろう。攻撃パターンも読めていないうちから突撃するな。相手の手数もだいぶん増えてきたうえに体力もかなり多くなっている」
「よし分かった。気を付ける。道中は素早く、ボスは冷静に、ってかんじだな」
 そうだな、と言いながら桜庭がフォークを置いて立ち上がった。
「洗い物は僕がやる。君は少し休憩でもしていればいい」
 パスタの皿にサラダとスープの皿とカトラリーを乗せて桜庭に渡す。お言葉に甘えて休憩することにした。ダイニングテーブルからソファへと移動する。
 テレビではまだ情報番組が流れている。スタジオで翼が抹茶と栗のケーキを満面の笑みで頬張っている。MCに感想を求められているが夢中すぎて気づいていないようだ。美味しさは十二分に伝わってきているから大丈夫だろう。キッチンから聞こえる水流と食器が重なる音がする。天道はローテーブルにあったマシュマロを一つつまんだ。
 のんびり眺めている間に番組は終了の時間となり、洗い物が終わった桜庭も戻ってきた。コーヒーも淹れなおしてくれたらしい。桜庭は二つのマグカップを机に置いた。
「再開するかあ」
 天道は大きく伸びをした。桜庭はリモコンを取ってさっさとゲーム画面へと切り替える。
「バッジは無視だぞ!」
「分かっている」
 二人ともコントローラーを持った。天道が4-3ステージを選択する。午前中にさんざん倒されたマップである。
 何度もやり直しただけあって道中はサクサク進んでいった。ジャンプ力が上がるアイテムを取って敵がたくさんいる場所を避けて進んでいく。あとちょっとでボスにたどり着くところで天道がジャンプに失敗してしまった。
「君はなぜ毎回同じところで落ちるんだ」
「ごめん。でもここ……」
 難しいだろ、と言おうとしたところで残機を見た天道は言葉が止まった。午前中のミスで残り数個しかなかったはずなのに、四十近い数に増えているのだ。
「おい桜庭。残機の数がおかしいんだけど」
「君が昼食を作っている間に増やしておいた」
「ありがたいけど、攻略見ちゃったのか?」
「いや、禁止だと言われている。序盤のステージで目星をつけていたところで増やしただけだ」
 てっきりプロデューサーが桜庭に伝え忘れたのかと思ったがそうではないらしい。自分だったら絶対攻略見ないと分からないだろうな、と天道は思う。そしてやっぱり桜庭はゲームが上手いのだろう。
「止めたところでどうせ君は突っ込んでいくからな。道中の凡ミスによるロスならある程度まで何とかなるだろう」
 そして自分の弱点を補うために動いてくれたことが純粋にうれしかった。洗い物をしている間にのんきにテレビを見ていたのが若干申し訳なくなるほどだ。
「何をニヤニヤしているんだ」
「いや、別に?」
 桜庭に怪訝な顔をされながらもボスへと挑む。もちろん上がったテンションのまま突っ込んだりはしない。せっかく喧嘩してまで考えた作戦なのだから、天道はこのままクリアしたいと願っていた。

 ローテーブルにはお菓子の袋が散らかっている。左にある窓のカーテンはだいぶ前に桜庭が閉めた。その上にある時計は八時過ぎを指し示している。
 ぶっ通しでやり続けてついに最終ステージまでたどり着いた。ここのボスを倒せば見事ゲームクリアである。
 しかしこのステージにきて再度詰まってしまった。ここへたどり着くまでもなんどか躓きはしたが、せいぜい五回もやればボスは倒せた。しかしさすが最終ステージというべきか、今までのなかで群を抜いて難しい。
 道中にはミスを誘うようなギリギリの配置が多く、また数か所は運要素が強く絡んでくる。そのため残機の消費量が非常に多い。そうしてたどり着いたボスもまた強敵だ。なんとか第二形態までは倒せるようになったが、第三形態に至っては攻撃すらロクに当てられないまま倒されてしまう。
「想像以上の難易度だな……」
 桜庭がため息をつきながらコントローラーを置いてしまった。このまま続けてもだめだ、と天道同様に思っているのだろう。
「選択肢としては一旦残機を増やしに戻るか、道中を安定させるか、ボスの攻略法を考えるか、ってとこか?」
「……全部だろうな」
「だよなあ」
「幸いまだ時間はある。まずは残機を増やそう」
「あ、じゃあ俺また飯つくるよ。腹減ったし。食材使ってもいいだろ?」
「もともと昼食用に買っておいたものだ。使って構わない」
「そうだったのか」
「一応材料はチキンカレー用だ。前に君と柏木が持ち込んだスパイスが残っているからな」
「時間かかるけどいいのか?」
「気分転換にちょうどいいだろう。ミスが増えている。頭を冷やせ」
「りょーかい」
 ミスが増えているのは事実であり天道も認識している。無駄に反論する必要もないため素直に夕食づくりをするためキッチンへ移動した。
 手を洗って桜庭が用意してくれた食材を確認する。レタスとかきゅうりとか明らかにカレー用ではないものもあった。サラダも作れということだろうか? その程度なら別に煮込んでいる間にささっと作ればいい。栄養は大切だし、頭を使ったから美味しいものが食べたい気持ちも強い。天道はカレー用の野菜を切りながら桜庭を見た。休憩するそぶりもなくコントローラーを握ったままテレビと向かい合っている。自分はこうして気分転換ができるのに、桜庭にはやらせっぱなしになっていることが申し訳ないと天道は思った。だからこそ、美味しいものを食べさせてやりたい。天道は気合を入れて作ることにした。
 スパイスは目分量ではなくきっちりと量り、鶏肉も柔らかくなるように普段は面倒で省く肯定もキッチリやった。煮込んでいる間に作ったサラダにも市販ではなく手作りのドレッシングを用意した。本当はデザートも用意したいところだったが材料がないのでさすがにあきらめることにした。
 そろそろかな、と鍋のカレーを覗き込む。匂いだけでご飯が食べられそうだ。味見をした天道は小さくガッツポーズをした。
「桜庭できたぞー」
 カレーにちょうどよさそうな皿を棚から出しつつ声をかける。背中越しにコントローラーを置く音が聞こえた。自分の分をよそっている間に桜庭がキッチンへやってくる。
「どのくらい食べる?」
「君と同じ量でいい」
 天道がよそった皿を覗いて桜庭が言った。はいよと返事をして天道はもう一つも同じくらいによそう。その間に桜庭がカトラリーとサラダをもってダイニングテーブルへ向かっていった。天道は鍋に蓋をした。二人分のカレーを持って桜庭の後を追う。桜庭はもう椅子に座っていた。桜庭の前とその向かいにそれぞれ置いて天道も座る。
「いただきます」
「いただきます」
 白米と一緒にスプーンで掬って口に入れる。我ながらよく出来たと思う。しっかり炒めたかいがあって玉ねぎの甘味がよく出ているし、スパイスの配合も万人受けする味ながらしっかり深みがある。メインのチキンもきちんと柔らかく仕上がった。百点をつけても文句は出ないだろう。
 あまりの美味しさに天道は夢中で食べていた。ふと顔を上げると桜庭も同じように黙々と食べている。どちらも無言ではあったが昼間のギスギスした雰囲気とは全く違った。露骨に緩んでいる桜庭の顔を見ながら、スパイスが余っているとか言いつつ本当は自分が食べたいがためのリクエストだったのかもな、と天道は思った。桜庭が好きなもの一覧に天道はひっそりと「オレが作ったチキンカレー」を付け加えた。
 カレーが半分ほど減ったところでやっと作戦会議が始まった。
「ある程度残機は増やしておいたが……」
 と桜庭が言う。とりあえずこれで身動きはとれる状態にはなった。
「後はどう攻略するか、だよなあ」
 道中を安定させる方法とボスの倒し方。この二つをどうにかしないとクリアすることは難しいだろう。気分転換をしろ、と言われたこともあり作ることと食べることに集中していたため天道はまだ全く考えていなかった。それに対して桜庭は
「……考えてみたんだが」
 と少し言いづらそうに口を開いた。
「柏木に電話してみるのはどうだろうか。彼は一度このゲームをクリアしているのだろう?」
「それはダメだろ。攻略は調べるな、二人でクリアしろって言われるし」
「攻略を調べるのと仲間にアドバイスを求めるのは違うだろう」
 天道は思わず固まってしまった。まさか桜庭がさらりとそんなことを言うとは思わなかったからだ。
「それにゲームを貸してくれている以上、柏木もある程度今回の趣旨も理解しているはずだ。ルール違反になるほど細かくは教えてこないと僕は思う」
「それは……そうだな。うん。いい案だと思う」
 そもそも翼の案であることまでは桜庭は知らないらしい。教えてくれるか分からないが、桜庭にこう言われてしまえば聞かないわけにはいかないだろう。少なくともDRAMATIC StTARSのリーダーとしては電話をしないわけにはいかない。
「では食べ終わったら君が掛けてくれ。僕は食器を片付ける」
「分かった」
 そうしてまた二人で黙々とカレーを食べ始めた。

 先に食べ終わった天道は
「じゃあ洗い物たのむな」
 といってシンクへ自分の使った食器を置いた。そのままソファへ移動してローテーブルに置きっぱなしだった携帯を手にとった。アドレス帳から柏木翼の文字を探して電話を掛ける。コールは四回しか鳴らなかった。
「もしもし? 輝さんもうクリアしたんですか?」
 声だけでも翼が驚いているのがよく分かった。比較的ライト層向けとはいえ本来一日でクリアするゲームではないはずだ。時刻は九時一八分。所見でクリアするには少し早すぎる。
「いや、それが最後のステージがクリアできなくてさ。アドバイスもらえないかなって」
「ダメですよ。攻略を調べるのが無しなんだから、オレに聞くのも無しです」
 予想通りあっさりと断られた。ここで引き下がってもいいのだが、電話した理由は教えてやらねばなるまい。むしろ天道にとって、攻略を聞くことより理由を教えることのほうが重要だった。
「俺もそう思ったんだけどさ。桜庭が攻略を調べるのと仲間に助言を頼むのは違うだろうって言うから」
「ええ? 薫さんがそう言ったんですか?」
「うん。だから掛けないわけにはいかないなって思って電話したんだけど」
 翼は黙ってしまった。驚いているのか、悩んでいるのか、喜んでいるのかは分からない。おそらく全部だろうと天道は勝手に解釈した。小さな沈黙のあと、翼は小さな声でポツリと言った。
「……そう言われちゃオレも教えないわけにはいかないですね」
「うん。だからたのむよ」
「そもそも何に苦戦してるんですか?」
「ボスの第三形態の攻撃が避けられないんだよ。あと道中の火の玉がめっちゃ飛んでくる上に足場が崩れていくところで落ちまくる」
「なるほど……」
 翼はここでまた黙ってしまった。時折「うーん」とか「どうしようかな」といった呟きがかすかに聞こえてくる
「オレがどうやって倒したかを教えるのは簡単ですけど、アドバイスとなるとどう伝えればいいのか……」
「とりあえず桜庭が残機は増やしてくれてあるんだよ。今四十三ある」
 天道はゲーム画面を見た。残機は昼間よりも多く増えている。
「そんなにあるんですか?」
「2の3のボス手前にあるブロックを登ったとこで増やしたらしい」
「よく攻略を見ずにその場所見つけられましたね」
「途中までは桜庭がめっちゃウロウロしまくってたからな。あいつスターバッジ全部揃える気だったらしいぜ」
「薫さんらしいですね」
「それじゃ進まないってことで諦めてもらったけどな。俺もボスは当たって砕けろ作戦封印中。ゴリ押ししようとするなって怒られた」
「……なるほど。オレ、分かりました。二人にするべきアドバイス」
 天道が現状を伝えると、ずっと不安げだった翼の声が明るくなった。
「オレからのアドバイスは、初心に帰ってみてはどうですか? ですね!」
「なるほどな」
「じゃあ頑張ってくださいね!」
 具体的には、と天道が聞くより早く翼は電話を切ってしまった。それとほぼ同時に、昼間同様コーヒーを持った桜庭がキッチンから帰ってくる。
「どうだ?」
「初心に帰れ、だってさ」
「初心?」
「道中の探索をしっかりやって、ボスはゴリ押ししろってことだと思う。話の流れ的には」
「なら一度それで試してみよう」
 桜庭はカップを置いてソファへと座った。二人ともコントローラーを手にとってゲームを再開する。
「探索をしっかりしろ、ということはおそらく楽になるアイテムかショートカットできるワープゾーンがあるはずだ」
「なるほどな」
 桜庭は虱潰しに画面内をうろうろ調べている。天道も自分なりに探索する。ゲームの仕様上、画面に映らない位置まで通り過ぎてしまうと後ろへは戻れない。先に進みすぎて桜庭の探索を邪魔しないように天道は気をつけながら進んでいった。
「あっ」
「それじゃねーよ」
「分かっている」
 途中でスターバッジを見つけてそんな会話をしつつもじりじり進んでいく。後少しで苦戦を強いられる道中で一番難しい場所についてしまう。翼のアドバイスを信じるならそれより手前になにかあるはず、と入念に調べていたところ桜庭が下方向へ言ったことのない道を見つけた。ワープゾーンかと思いきや行き止まりであったが、敵が大量に飛ばしてくる火の玉を一定時間無効にするアイテムが置いてあった。
「これがあればあの場所も簡単に抜けられる」
「残りの課題はボスだけだな!」
 アイテムを取って元の道へ戻る。あんなに苦戦していた場所もアイテムのおかげでさっさと抜けられた。拍子抜けしつつもボスへと向かう。一度も倒れること無くたどり着くことが出来た。
「ゴリ押しでいいんだな?」
「いいはずだけどなあ」
 ボスの登場演出を見ながら桜庭は確認をしてきた。そもそも翼のアドバイスは初心に帰れ、であって探索とゴリ押しは天道の解釈に過ぎない。ちょっと不安に思いながらも返事をした。演出が終わると同時に天道と桜庭、そしてボスも動き出す。
 第一形態はさして問題はない。ヒットアンドアウェイで大したダメージを食らうこと無く切り抜ける。第二形態は攻撃できる隙が少ない。桜庭が主体になりながらコツコツとダメージを重ねていく必要がある。とはいえここまでは夕食前から倒せていた。
 問題はこの後の第三形態である。
 第二形態を倒し見た目が変化する演出が終わると同時にまた二人とボスが動き出す。天道も桜庭もためらうこと無く一直線にボスへ向かっていった。そしてあっさり倒された。効果範囲の広い攻撃のせいで、こちらの攻撃が当たる位置まで近づくことすら出来なかった。
「……ゴリ押しすらまともに出来ないんだが」
「……とりあえずもうちょっと試してみようぜ」

 その後三回ほど試してみたが結果は同じだった。
 何度やってもボコボコにされてマップ選択画面へ戻されてしまう事実に天道は途方に暮れていた。その横で苦い顔をしていた桜庭は思いついたように呟いた。
「……もしかしたら、道中に何かあるのかもしれない。あの難しい場所以降はきちんと探索をしていない」
「なるほどなあ、やってみるか」
 めげずに再度最終ステージを選択する。さっさとアイテムをとって難関の場所をクリアする。この先も決して簡単ではないが、何度も挑戦しているため割と余裕が出てきた。
「あっ」
「だからそれじゃねーよ」
「分かっている」
 二つ目のスターバッジこそ見つけられたが、ボスの目の前まで必死に探し回ったにもかかわらず他には何も出てこなかった。
「僕の勘違いだったな……」
「いや、発想は悪くなかったぜ」
「とりあえずここまで来たんだ。もう一度ボスに挑戦しよう」
 特に解決策も見つからないままボスステージへ足を踏み入れる。何度見たか分からないボスがまたしても見慣れたステージにいた。最初こそ二人で攻撃していたが、急に桜庭が
「もしかしたらここになにかギミックがある可能性も……」
 などと言い出して攻撃をやめてしまった。
「おい攻撃はしてくれよ」
 攻撃をよけながらひたすらうろうろする桜庭に突っ込みを入れる。案の定聞き入れてくれないため天道は一人で攻撃を続けた。
 なんとか体力を削り切ったらしくボスが第二形態へと変わろうとする。ステージの左右に四本ずつ立っている支柱を壊していく演出も見慣れたものだ。速さと攻撃範囲が広がったボスの攻撃を天道は慎重に避けていった。対する桜庭は案の定攻撃する気は無いらしく、ステージの隅にいた。その桜庭が急に支柱へジャンプして上りだした。第一形態のときは高すぎて登れなかったそれが、演出で壊されたことによって一番内側の支柱に届くようになったのだ。そのまま一本ずつ飛び移っていき最後の一本へ上った桜庭のプレイアブルキャラは画面から見切れてしまった。その瞬間ゲーム画面が暗転する。
「え? なんだ?!」
 一瞬の暗転の後、キャラクター二人とボスは見たことのないステージに立っていた。桜庭が支柱を登って行ったことにより上のステージに移動したのだ。そしてその左右には遠距離攻撃ができるようになるアイテムが一つずつ配置してある。
「これか!」
「これだ!」
 驚きのせいで現状の把握が遅れた二人をよそにボスは素早くそのアイテムを獲得する。ただでさえ広範囲だった攻撃がアイテムのせいで離れた位置からも飛んでくるようになってしまった。慣れない攻撃にあっという間に二人とも倒されてしまう。
 怒涛の攻撃にマップ選択画面へ戻されてからも二人して放心していた。無言で画面を見つめていたが先に我に返った天道が口を開いた。
「いや、でも合ってただろあれ!」
「……おそらく第二形態までは元の場所で倒せばいい。第三形態へ変化する時の演出がかなり長い。そのすきに移動してアイテムを取ればいいのだと思う」
「いけるぞこれ!!」
「君が凡ミスをしなけばな」
「それはお互い様だろ!」
 言い合いながらもまた最終ステージを選択する。
 進んでいくスピードは初めて来たときとは比べ物にならないほどスムーズになっていた。ボスの前まで来るのもあっという間である。道中だけではない。ボスも第一形態は余裕だった。二人ともほとんど攻撃を食らうことなく体力を削り切った。
 第二形態もさほど問題はない。第一形態よりは時間こそかかるが、冷静に攻撃を避けながら少しずつこちらの攻撃を当てていく。何度も繰り返したところでボスが動かなくなり点滅する。第三形態へ移行する演出が始まった。
「上がるぞ」
「ああ」
 桜庭が左、天道が右の支柱から上のステージへ移動する。ボスはまだ上がってこない。慌てて左右に配置されている遠距離攻撃が可能になるアイテムをそれぞれ取得した。それとほぼ同時にボスが中央から床を突き破る形でステージに突入してくる。姿は第三形態へと変化していた。
 ボスは攻撃後の隙が殆ど無くなっている。今まで攻撃するタイミングが無かったが、遠距離攻撃が可能になったことで近づく必要が無くなった。広範囲に及ぶ攻撃は二人とも冷静に避け、単体を攻撃してくるときは狙われたほうが必死に避けてもう一人がステージの反対側から攻撃を当てる。回避のためにあちこち移動しつつもお互い近い位置にいないようポジションを意識しながら戦っていた。
「いけるなこれ!」
「ああ、そろそろ倒れるだろう」
 余裕でそんな会話をしていたところ、ボスの色が変化する。それと同時に動きの速さが格段に上がった。
 慌てて二人は攻撃を避けた。逃げ回るので精一杯であり、それでも被弾は避けられない。特に天道は攻撃する余裕すらなかった。先に冷静になった桜庭が一瞬の隙を見て遠距離攻撃を二発だけ発射する。ボスに当たったはずのそれはダメージ演出を伴わずに消滅した。
「効かなくなってるぞ」
「どうするんだこれ」
 必死で避けながら倒す方法を考える。遠距離攻撃が効かない以上直接攻撃をするしかないが、怒涛の攻撃に近づく隙は存在しない。回避に専念している今ですら全てを躱せるわけではなく、ボスに対して何もできないままこちらの体力だけが少しずつ減らされていった。完全にジリ貧状態である。その瞬間、天道が叫んだ。
「分かった!!」
 叫ぶと同時に天道はろくに攻撃もよけずボスへ突っ込んでいく。
「おい、何を……」
「探索とごり押し! 桜庭も行け!」
 桜庭は一瞬躊躇いながらも天道に続いた。みるみるうちに二人の体力ゲージが減っていく。しかしボスにも確実に攻撃は効いていた。
 程なくして桜庭の体力はゼロになった。桜庭が残機を消費してステージに戻る十数秒のうちに天道が倒されてしまえばまたマップ選択画面へ戻されてしまう。対する天道の体力もまた残りわずかとなっていた。走る緊張感の中、それでも天道は攻撃の手を緩めなかった。
 間に合わない、と天道が思った瞬間、画面が点滅をした。
「あっ」
「あっ」
 二人して短く声を上げる。点滅する画面の中、ボスも天道のプレイアブルキャラも動かない。天道が攻撃を当てたモーションのままどちらも固まっていた。点滅がやむと同時にボスが灰になって崩れていくかのように消滅していく。
「……勝ったか?」
「た、たぶん」
 操作をしていないにもかかわらず、キャラクターは入れなかった奥のマップへと移動していく。切り替わった先では桜庭のプレイアブルキャラも一緒に登場して歩いていった。
 さらにキャラクターたちは勝手に奥へ進み、行きついた先で宝石を掲げる。今まで通ってきたステージが映し出され、光とともに道中にいた敵たちは消滅していく。カメラはまたキャラクターたちのいる場所へと戻った。後ろから、オープニングで攫われていたヒロインが登場してお辞儀をする。そして三人は来た道へ向かって歩き出した。彼らが見切れるまで見送ったところでまた画面が切り替わり、明るい音楽とともにスタッフロールが流れ出した。
 ゲームクリアである。
「終わったあ!! いやあ長かったなあ!」
 天道はコントローラーを置いて大きく伸びをした。長時間に及ぶプレイもこれで終わりかと思うと大きな達成感に満ち溢れていた。喜ぶ天道に桜庭は反応を示さない。それどころかなぜか桜庭がカチャカチャとコントローラーを操作する音が天道の耳に届いた。画面を見ると桜庭のキャラクターがスタッフロールの後ろで流れる足場を下りながら配置されているコインをせっせと取っていた。天道のキャラクターはもちろん棒立ちである。画面の上部には桜庭側に630点、天道側に0点と表示されていた。
「お前はさあ、感慨に耽るとか、そういうの無いのかよ」
「最後まで全力で遊ぶのが僕の信条だ」
 桜庭は手を緩める気が一切無いらしい。天道も一緒になって遊ぶことにした。エンドロールってのは普通もっとゆっくり眺めるものだ、と思いつつ桜庭が取ろうとしているコインを横取りした。
 天道の出だしが遅れたこともあり、ミニゲームは桜庭の勝利で終わった。十数時間ぶりにスタート画面へ戻ってくる。
「あ、写真撮るの忘れた」
「写真?」
「ちゃんとクリアした証拠にエンドロールの写真撮れってプロデューサーに言われてたんだよ」
「ならこのセーブデータでいいだろう」
 データ選択画面の一番上にはCLEARと書かれたセーブデータが表示されている。桜庭はそれを指さした。
「それでもちゃんと分かるから、まあいいか」
 二人はソファから立ち上がってテレビの横に立った。天道はスマートフォンを持った手を前に伸ばす。何事もなく撮影を終え、二人はソファへと戻った。
 疲れた天道は電車で帰るかタクシーで帰るか悩みだした。明日も朝から仕事である。一方桜庭はクリアデータを選択してまたゲームを始めようとしていた。
「……なにやってんだよ」
「まだスターバッジを回収し終わってない」
「まじで言ってんのか?! もう十一時近いんだぞ?!」
「泊っていけばいい。一度すべてのマップをクリアしているんだ。そう難しい作業じゃない」
「えっ」
 天道は思わず固まった。いや、想定こそしていなかったがお泊り自体は嬉しい。しかしやることはゲームの続きである。
「はやくコントローラーを持て」
 こいつは本気で言っているんだな、と悟った天道はあきらめてソファに沈み込んだ。

 天道は楽屋のソファで舟をこいでいた。楽屋といっても天道のでは無く翼のだ。傍らには大きな紙袋が置いてある。収録を終えた天道は上の階で仕事をしている翼を待っていた。
 ドアの開く音で天道は目を覚ます。すぐに翼の声も聞こえてきた。
「あ、輝さんお疲れ様です」
 天道が楽屋で待っていることを知らなかったはずなのに、翼は特に驚くこともなく言った。
「おつかれ。ゲームありがとな」
 天道が寝ていたことに気が付いていたらしい。翼は紙袋を受け取りながら
「輝さん眠そうですね」
 と笑った。
「ほぼ徹夜だったからな」
「でも電話くれたのは十時ごろでしたよね?」
「クリア自体は十一時ごろにできたんだけどな。桜庭がスターバッジ全部集めるって言い出してさ」
「薫さん、今日仕事は?」
「午後からだってさ。あいつ自分が昼まで寝れるからって……」
 と言いながら天道はあくびをする。天道は目をこすりながら結局分からなかった疑問を翼に尋ねた。
「結局、翼はなんであのゲームを俺と桜庭にやらせたんだよ」
「輝さん昨日どうでしたか? 喧嘩しました?
「そりゃしたよ。協力するタイプのゲームを俺と桜庭にやらせたら喧嘩するに決まってるだろ」
「じゃあ楽しくなかったんですか?」
「……いや、楽しかったよ」
「クリアもできたんですよね?」
「もちろん」
「ならいいじゃないですか。喧嘩してもちゃんと仲直りして、目標も達成できるし最後には楽しかったって言えるんですから」
 今朝の五時、ソファに座ったまま自分にもたれかかって眠る桜庭の顔を、天道は思いだした。結局スターバッジを回収し終わるより先に桜庭は寝てしまった。桜庭を起こさないようにしながら残り五つを天道は一人で回収しつつ、眠たい脳みそで俺は何をやっているんだろうと自問自答したが、左耳のすぐ傍から聞こえる寝息にまあいいか、と結論付けた。
 スターバッジがそろった画面はきちんと写真を撮って桜庭の携帯へメールで送っておいた。
「まあ、そんなものか」
「そんなものですよ」
 笑いながら隣へ座ろうとした翼の腹の虫が鳴る。天道も一緒に笑って時計を見た。
「まだ十一時過ぎだぞ。……十一時過ぎ!?」
 天道は慌ててポケットからスマートフォンを出す。画面をつけたが何の通知も無かった。
「桜庭起こさねーと!」
 慌てる天道の隣でまた翼が笑ってる声がした。