隣にいるから

 アイドルになったのは金を稼ぐため。そう言い切っていた桜庭が金が必要な理由をぽつりと洩らした。2人掛けのソファで俺の隣へ座っている桜庭へ視線を向けると、桜庭は缶ビールを片手にぼうっと前を向いていた。専門外だから俺には医療のことは詳しくは分からない。でも生半可な気持ちだけでは成し得ない夢であることはなんとなく分かる。結成初期から俺たちにも自分自身にも厳しい桜庭という男の胸の内には、こんな物が眠っていたのか。桜庭の横顔は、決意に満ちている訳でも無く、かと言って喜びに満ちている訳でも無い。アイドルになるよりずっと前からそこにあった想いは、もう桜庭にとって当たり前のものになっているのだろう。
 恐ろしいほどに高い目標を固い決意と共に持ちながら、宣言もせず応援も求めず、でも手は抜かずにストイックにこうも目指せる奴は滅多にいないだろう。きっと今呟いたのも、俺に応援して欲しいからでは無い。多分話の流れとアルコールのせいで本当に洩れ出してしまっただけだ。
 だから俺は桜庭薫が好きなんだ。表面からはっきり見て取れるストイックさ、少し付き合うとそこから顔を出す芯の熱さと人を想う優しさ。そして更に関わると甘さと共にほんの少しだけ開かれる心の内が、人として愛おしくて仕方がない。
 だけど桜庭の好きなところがもう一つある。そして桜庭の語る夢には、それが見えてこなかった。
「お前はどうするんだよ」
 俺の言葉に首をかしげる桜庭から視線を逸らして前を見る。空き缶とつまみが乗ったローテーブルの先には、先程から楽しそうに歌って踊る俺たちが映っている。
 初めて人前で披露した公開収録の番組の録画を家で見たときの衝撃を俺は今でも忘れていない。こんなにも楽しそうな桜庭を見たのはあれが初めてだったからだ。お前はそんなに楽しそうに歌って踊るのか。この場所はお前にとってそんなにも幸せな場所なのかと、放心しながら眺めていた。
「どうするって何がだ」
「だから、費用貯めて、研究して、その病気を無くすんだろ?」
「ああ」
「それで、お前はどうするんだよ」
「……質問の意味が分からない」
「だろうな」
 その夢が叶えば、きっとこの世界から何人もの人が救われるのだろう。患者本人だけじゃない。それこそ過去の桜庭のような人たち、つまり患者の家族や友人を含めた周りの人達もだ。
だけどそこに、今の桜庭が含まれているようには俺には思えなかった。
 目の前の液晶は相変わらず楽しそうな俺たちを映し出している。どうして一緒に観ているのに、この幸せそうな桜庭薫はお前の目に映らないのだろうか。ヒーローになった先には俺の幸せがある。最高の景色の先には翼の幸せがある。なのにどうして大金を稼いで病気の無くした先に、桜庭自身の幸せを見出そうとしないのだろうか。
 315プロダクションに、DRAMATIC STARSに、ステージの上に、桜庭薫の幸せがあるという考えは俺の傲慢なのかもしれない。でも楽しそうに歌うこの表情に、倒れた翼に本気で動揺した姿に、花火を見ながらまた来ようと言ってくれたその言葉に、俺は桜庭薫の幸せを見出したかった。
「お前が見るべきなのは俺の顔じゃないだろ」
 先程から怪訝な顔をしながら何も言わない俺を見ている桜庭にそう呟くと、少し不満げな顔をしながら前へと向き直る。見るべきなのは反省点でも改善点でも無いぞと言いかけてやめた。多分今の桜庭には伝わらないのだろう。
 人生を賭けて叶えようとしている夢の先に自分の幸せが加味されていない。そんな奴は物語に出てくる復讐に燃える悪役くらいだ。だけど桜庭は悪い奴じゃない。あるのは知らない人の幸せだけだ。だけど桜庭からしたら一種の復讐なのかも知れない。この世界には病など山のように存在している。一つ治せるようになっても、病に苦しめられる人が全員居なくなる訳ではない。その中で姉を蝕んだものだけでも消し去ろうとしている。復讐に燃える奴を止めるのはそれこそヒーローの役目だろう。だけどこんなに優しくて美しい復讐を俺は知らない。そして邪魔していいものだとも思わない。ただその先に桜庭の幸せの存在だけが抜け落ちていることが、悲しくて仕方がない。
 目の前の液晶は相変わらず先日のライブを映し出している。生きてきた道も、秘めた想いも、得意なことも全部違う3人が、このDRAMATIC STARSという場所なら支え合って幸せに笑える。
 隣で真剣に改善点を探す男の代わりに、ここが桜庭にとって幸せな場所であることを願おう。
 桜庭がいつか自分自身の幸せと向き合える日まで。